エンタメ愛が止まらない!! リターンズ

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【ドラマ】好きな気持ちは誤魔化せない!『消えた初恋』

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あんな恋がしたくて〜〜〜〜〜う・ぶ・だ・ね♪

2021年10月〜テレ朝「オシドラサタデー」枠にて放送。

2022年1月1日深夜には『消えた初恋 朝まで一緒にキュンしよう 新春初キュンSP』として早々に再放送もされた。

「なにわ男子」道枝駿佑くん&「SnowMan目黒蓮くんのダブル主演。

www.tv-asahi.co.jp

 

同級生の橋下さん(福本莉子)に片想い中の青木くん(道枝駿佑)、ある日のテスト中、橋下さんから消しゴムを貸してもらった。優しい橋下さんに益々キュンとなる青木くん。

ところがその消しゴムには、こっそり「イダくん♡」と書かれていた。

これは恋のおまじない。(いつの時代もあるのね、恋のおまじない!)

憧れの橋下さんは、同級生の井田くん(目黒蓮)に恋している!?

・・・・

あっという間に失恋した青木くん、ここからは橋下さんの恋が成就するよう奔走し始める(優しいやつ!)。

井田くんはバレー部所属、真面目でまっすぐで硬派な好男児。恋愛には疎く、女心にも全く気付かない。大好きな橋下さんに幸せになってほしい青木くん、井田くんの鈍さにヤキモキしながらアレやコレやと二人を取り持とうと奮闘するうちに、なぜだか井田くんのことが気になり始め、、、。

 

チャラめの友達、相多くん(鈴木仁)も加わり、それぞれの恋と友情に右往左往しながら、爽やかに爽やかに展開していくラブコメディ!

 

これっていわゆるBL物語ってことになるのかもしれないけれど。

みんなピュアで可愛らしくて愛おしくって!

もはや、そういう括りは必要ないんだなぁっと思わされる。

 

橋下さんが好きなのは本当は「アイダくん」(消しゴムでは「ア」が消えていただけ)で、最初から青木くんの勘違いから始まった物語で、青木くんが井田くんに抱く感情に戸惑ったり、二人が「付き合うってどういうこと?」って悩んだりするんだけど、片想いも両想いも男同士だからとかも関係なく、周りの友達が実に優しく温かく見守るのよね〜〜。

 

実際の学校の中で、男同士・女同士のカップルがここまで自然に受け入れられているのかどうかは分からないけれど、一昔前までの重くデリケートに扱われていたはずの恋バナが、こんなにポップで明るく、自然なこととして描かれるようになったことに驚いた!

道枝くんと目黒くんという美しい好青年が、嫌らしさを一切感じさせることなく爽やかに演じているから、ということもあるかもしれないけれど。

そもそも、ジャニーズファンの多くはメンバー同士のイチャイチャが大好物だ♪

広いライブ会場のどこか一部で「きゃ〜〜〜〜!!!」という歓声が上がる時は、大抵メンバーの誰かと誰かがイチャイチャわちゃわちゃしている。

 

50代も後半に差し掛かった私の中には、正直、未だに「男は男らしく」「女は女らしく」という考えもあるし、男女の役割の違いもあって当然と思ってしまっているところもあるけれど。

人が人を好きになる。

という点において、LGBTなどという呼び名を設けること自体がナンセンスなのかもしれないなぁ〜〜。

 

 

それにしても道枝くん。

小さい頃から見てきたけど、、、ホントに大きく育ったねぇ〜〜〜!

「99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE」で共演した松潤が「お前、長いな!」っと言ったらしいけど、確かにね(笑!

 

【映画】花束みたいな恋をした:カップルで観るのは要注意?!

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みずみずしくて綺麗なだけに、枯れていくのは・・・辛いなぁ。

素敵な二人が演じるからすごくイイ!

デートでこの映画は、カップルで観るのは…ちょっと…ねぇ…(と、おばさんは思ってしまったりして)。感謝や祝福、愛情を表現する際に贈られる花束。

綺麗だ…。部屋に飾れば華やかでみずみずしいエネルギーに満たされる…んだけど、時間の経過とともにどんどんしぼんで枯れてしまうのも花束の宿命・・・。

 

『花束みたいな恋をした』はドラマティックな恋愛というより、誰もが経験しそうな甘くて苦い、でも時間の経過とともに輝きを取り戻しそうなアオハルな物語だ。

今をトキメく菅田将暉さんと有村架純さんのラブストーリーだから、みごたえのある素敵な作品になるのは間違いない(^^)

 

学生時代のビビビ恋愛とその経過

大学生の山根麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)の出会いはちょっとした偶然だったが、互いの感性に多くの共通点があることから意気投合し、一気に恋愛に発展する。

ラブラブの同棲生活をスタートさせ、大学を卒業しても、それぞれ好きなことをするのを第一に、フリーターをしながら仲良く暮らしていた。

やがて、麦は簿記の資格をとって事務のパートをしながら生活を支え、イラストレーターになりたかった麦は、なかなかイラストだけでは食べていけず悩ましい日々を送るようになる。

そんな二人を心配して、それぞれの親がアパートにやってくる。

「このままでいいのか?」「将来のことを考えているのか?」「いつまでも恋愛モードで浮かれていないで将来のことを考えた生活を始めなさい」

結局、麦は二人の生活を維持するために、会社に就職することを決め、営業の仕事に就く。

…そこから、少しずつ、少~しずつ変わってくる二人の関係。

みずみずしく楽しい生活がどんどん、、、しぼんで、、、。

この映画は、そんな二人の関係の変遷が、日常の何気ない出来事を通して綴られている。

 

すっかり大人になっちまった人には、「あるよねぇ…こういうこと」と大きくうなずく物語だが、これをバラ色の恋愛中の人や、これから本気の恋をしたいという若者が観てもいいのかな。『学生時代の花束みたいな恋は成就しづらい』という、水曜日のダウンタウンに出そうな企画モノを見てしまった気分だ。

いま(2022年1月現在)U-nextでやってるんで、ぜひ観てください。

 

学生だからって無責任に生きられる、とは思わないけど

学生時代って実はあっという間に終わってしまうかけがえのない時間だから、歳をとってから「あぁ、あのころからやりなおしたいな…」と思ってしまうことが多々ある。学生時代にもう少し精神的に成長できていればな、とか、もうちょっといろいろ経験しておけばよかったな、、、とか思うのだが、結局、当時の自分にはそんな度量もキャパもなかった。あぁ、なんてムダやムラの多い時間を過ごしたのだろう…。

学生時代はなんだかんだで自分のことだけを考えて生きていけるし、年齢的にもまだ未来への時間がたーんとあって「あれもできる」「これもできそう」と思いがちだ。でも、「時間が(まだ)ある」という思いは、ひとつ間違えると「(いまは)まだいっか」と変な余裕を持ってしまうので、あれよあれよと時間が経って、気づけば周囲から「もーう、イイ年なんだから!」と言われてしまう。

そんな感じで、気づけば40、50になっているのがわ・た・し(涙)。

 

”若さ”ってキラキラまぶしくて痛い。

老婆心ながら、50過ぎたオカンが言いたいのは、「若さという武器は出し惜しみせず、たくさん失敗してしまえ~!」ということだ。『失敗が怖い』と言う人がたくさんいるらしいが、失敗のおかげで人生のネタが増えるのだ。ケロリ忘れるか、ネチッとした念に熟成させるかは自分しだいなのだ。しかも、恋愛においては、たとえお別れがあってもそれは失敗ではない。縁は一期一会だもん。

つまり、この映画に出てきた麦も絹も「いい経験をした!」ということだ。『花束みたいな恋』は、いつかは枯れてしまうんだけど、その経験と思い出はけっして枯れない。人間としてひとまわり成長できるし、そういう恋愛を経て、やがて、現実的な結婚というものを考えていくほうが、なんか、結果としてうまくいきそうだ、と思う。

そういう意味で、恋愛って人間関係のひとつのカタチである。恋愛で破滅したり、人生をかけちゃったり、すべてを捧げるというのは、物語としては美しいけれど、そんなことを期待したり願ったり、そうありたいと思っても、人の心模様は移ろいやすい、、、人生をまるっと捧げるほどのものじゃない。

だから、キラキラ輝く恋愛を終えた悲しみに浸っている人はぜひ、この映画を観て欲しい。

マッキーの歌「もう恋なんてしないなんて~言わないよ、ぜ~ったい~」でいいのだ。

現に、麦も絹もちゃーんと次の恋を始めている。大好きで唯一の存在だと思ったこともあった二人が花束みたいな恋をしたから、ひとつ大人になって新しい恋ができるのだ。

 

カップルで観て互いの感想を言い合えば、麦と絹が恋に落ちた意味が分かるかもしれない。

【ドラマ】てぃあらららるん♪『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』

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由紀さおりは、ル〜ル〜ル〜ル〜〜〜〜♪

2021年11月〜NHKにて放送。

お笑いコンビ「阿佐ヶ谷姉妹」(実際は擬似姉妹)の姉・江里子(木村多江)と妹・美穂(安藤玉恵)が、阿佐ヶ谷の小さなアパートで二人暮らしをする何気ない日々を綴ったエッセイのドラマ化。

大きな事件が起きるわけではないけれど、穏やかなようで何だかちょっと可笑しい二人と、個性豊かな大家さんやご近所さんとのほんわかしたやりとりが心地よい。仕事が殆どない日々を周りの人たちに見守られ助けられながら、少しずつ有名になっていくまでの物語である。

女優さんって流石です!話し方も絶妙な寄せ方で、本物の阿佐ヶ谷姉妹がこんな風に過ごしてたんだろうなぁっと想像できてしまう!

本音が見えにくい美穂さんに振り回されて見える江里子さんも、実は無自覚に美穂さんを振り回している、なんとも不思議な関係の二人。気が合うのか合わないのか、、噛み合わないこともあるけれど、お互いが無くてはならない存在なんだろうねぇ。

 

ところで。

 

ご存じだろうが「阿佐ヶ谷姉妹」のティアララルン!のネタ元は、由紀さおり安田祥子(本物の姉妹)が歌う「トルコ行進曲」である。

私が子供の頃、由紀さおりさんは「ル〜ル〜ル〜ゥル〜…(夜明けのスキャット)」と歌っていた。歌詞のほとんどが「る〜」とか「ら〜」なんだけど美しく、子供ながらにうっとり聴いていたのを覚えている。

一方、『8時だよ!全員集合』や『ドリフの大爆笑』で見せるコメディエンヌっぷりがサイコーに面白く、ちょこちょこ出演するドラマでもどちらかといえば「おもしろ担当」。

私にとって由紀さおりさんは、歌手というよりコメディエンヌという認識のほうが強くなっていた。

そんな、ある年の紅白。(調べたら1997年だって)

姉の祥子さんとともに出演し、「ティアララルン♪ティアララルン♪ティアララティアララルン!!!」と熱唱したのだ!

この時の衝撃たるや!!!!!

 

ほぼ毎年紅白は見ているので、他の曲を歌っている由紀さおりさんも見ているはずなんだけど、失礼ながら覚えておらず、、、。

この時の「トルコ行進曲」だけは強烈な印象として残り、忘れられない!!!!

 

阿佐ヶ谷姉妹が「ティアララルン!」と歌って世に出てきた時、「あ〜、私と同じように、あの時の衝撃を忘れられない人たちがいたんだ!!!」っと、とても嬉しくなったことを、ドラマを見ながら改めて思い出したのであった〜〜〜。

 

【エンタメ】いま、何故『マツケンサンバ』が求められているのか?

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あ~ぁ 恋せよ、アミーゴ!(吉宗公)& 青春アミーゴ!(修二と彰)、SwitchはAmiibo!

 

夏の消化不良が年末に解消?!

東京オリンピック開会式のときに、多くの在宅観覧者たちがSNSマツケンサンバを求めている声がバズっていて、

「たしかになぁ…」と思った人は少なくないだろう。

我が家も家族全員でオリンピックの開会式中継を観たけれど、あの演出・・・なんだか出汁がきいていない和食みたいで、、、どこもかしこもパッとせず、締まりがなくてモヤッとして、

「あれ?演出ってMIKIKOさんじゃなかったっけ??」と確認したら、どうやらいつの間にか違う人に代わっていたらしく…。

日本人であれば和食には出汁が重要であることを知っているはずなのだが、代わりに政治的な何かというスパイスを入れちゃったんだろうなぁ。あーあ、至極残念である。

さて、そんな我々の不満も時の経過とともに薄らいできた2021年の大晦日。日本の年末恒例イベント、紅白歌合戦で、口惜しいオリンピック開会式のリベンジが果たされた模様。NHKって意外と攻めてるよねぇ。

劇団ひとりさん、よく同じ演出を受けたなぁ、と感心した。もしかして、ひとりさんも自分がオリンピック開会式の演出に満足していなかったりして。

 

いま、何故『マツケンサンバ』が求められているのか?

マツケンサンバ、と我々は言っているが、実は、いまテレビの音楽番組で松平健さんが歌っているのは「(ツー)」である。マツケンサンバには「Ⅰ(ワン)」も存在する。

マツケンサンバⅡのリリースは2004年。ちなみに、当時、私はCDを購入している。

あれから17年も経っているのに全く色あせない。それどころか、人々の心を釘付けにする魅力が増したように感じる…のはなぜだろう。

 

その答えに、コロナ禍があることは否めない。

 

サンバといえばリオのカーニバル。全裸に近い極小サイズのコスチュームを身にまとい全身をフリフリ…。互いの汗が混じり合うような熱いダンス。

サンバの音楽を聞いて心躍らない人がいるだろうか。

とにもかくにも陽気で明るい音楽である。

人との距離を強制され、行動に制限がある中で、絶えず周囲を気にしながら生活しなくてはならない今、サンバは我々の生活からは最も遠く、かつ、憧れの世界となった。

人は手に入らないものを求める。溜まりに溜まったフラストレーションの解放…。

 

マツケンサンバⅡには人を笑顔にする力がある

水曜日のダウンタウンの企画でも、

マツケンサンバを踊りながら泣くことはできない』説が完璧に証明されたように、どんなに悲しくても、苦しくても、マツケンサンバⅡを歌うと涙なんて出ない。

ちなみに私自身でもこの実験をしてみた。私には、思い出すとすぐに号泣してしまう愛猫の死という悲しい経験がある。この経験を実験に用いてみた(ニャンちゃん、ゴメンねー(_人_)。あの悲しい日の出来事を思い出しながらマツケンサンバⅡを歌い踊ってみると、、、ふだんなら秒で涙ポロポロなのに、どうしても涙が出ない。それどころか、思い出す悲しみが次々と彼との楽しい思い出にすり替わっていくではないか!

www.youtube.com

......すごい力を持っているのだ。

 

2021年は結局、私たちは『マツケンサンバⅡ』の力を借りねばならない年だったのだ。

 

マツケンサンバⅡ』と『まつり』の違い

それにしても、紅白歌合戦松平健さん、スケボーに乗って登場したのには驚いた。あのお歳で体幹が鍛えられているのね。さすが、かつて暴れん坊将軍と言わしめただけはある。

徳川吉宗公と言えば質素倹約を旨とする享保の改革を行った将軍だが、マツケンサンバⅡを踊る殿は豪華さと栄華を誇っていてそのギャップも萌える。

ちなみに、例年、清水寺で発表される『今年の漢字』。マツケンサンバⅡがリリースされた2004年は新潟県中越地震があったこともあって『災』だった…。ということは、けっこう忍耐の年だったのね…。

そんな辛抱を強いられるときに、マツケンサンバⅡは求められる

我慢と忍耐。試練と苦労…。そんな精神の耐久レースに挑むために、マツケンサンバⅡというエネルギーを注入してなんとか乗り越えんとするのだろう。

 

さて、紅白歌合戦でいえば、過去にマツケンサンバⅡに匹敵する名曲があるとすれば、北島三郎さんの『まつり』だ。私は『まつり』を聴かねば年が越せないというほど、この曲を大晦日に聴くのが好きだった。が、『まつり』の持つ力は、「日本人で良かったね」「今年も無事でよかったね」的な安心感で満たされる感じであって、悲しみや苦しみを癒すものではない。比較的、平和で調子が良いときは『まつり』で安心したい気がするんだけど、忍耐の年に『まつり』だと「ごめん・・・ちょっと無理」と言いたくなるのは私だけだろうか。

とにもかくにも、いま『マツケンサンバⅡ』が求められているのは確かだ。コロナ禍はいまだ出口が見えず、大きく変化した生活に疲弊している人も多いだろう。2022年はどんな年になるのだろうか。いましばらくは、健さんに頑張って歌い続けていただくしかなさそうだ・・・

というのが私のあくまでも個人的な感想である。

 

【韓ドラ】ボーイフレンド:パク・ボゴムくん、それは罪だよ…。

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格差なんてくそくらえ?!心から応援したくなる二人の愛の物語

No Ikemen,No Life!

あけおめです!

 

いざ、更新を再開する…となると何から書こうか決めかねる。なんせ更新は休んでいたがエンタメ愛は止まってなかったもんで(笑。

 

さかのぼって昨年(2021年)の始まりは、『愛の不時着』きっかけで韓ドラにドハマりし、コロナ禍で在宅時間が増えたこともあいまって、あれこれと貪るようにモニターと向き合っていた。

韓ドラ好きな人にとっては「あるある~!」だと思うが、ハマっちゃうとこれがまさに沼で、日常生活をも脅かしかねない。なんてったって1話の時間は長いしエピソード数も多い。まるでわんこそば状態の視聴で、1話終われば「はい!じゃんじゃん!」ってな感じでポチッと視聴ボタンを押すことになる。

とはいえ、家族がいる者にとって沼にどっぷりハマれるのは、皆がスリープモードに入った夜である。彼らの起動中(起きて活動している間)に視聴してしまうと、右から左から「ママ~!」と呼ばれ、そのたびに夢の世界が中断されるし、挙句に猫たちまでちょっかいを出してくる始末。誰の邪魔も無くモニターに集中できるのは夜中しかない。必然的に私の『お愉しみは夜』になってしまうのだ。

 

「かぁ~さんは~よなべ~をして~♪韓ドラみーてーたー♪」

韓ドラのわんこそば視聴。やがてカーテンの隙間から朝の日差しが入ってきてチュンチュンと鳥の声が聞こえ・・・「やべっ、朝やんけっ!」と慌てて1~2時間寝る…というのが顛末であった。

そんな私に、家族は「このままじゃ廃人になるよ」とイエローカードを出す始末。久々に鏡に映る自分の顔を見てみると、お高い美容クリームを塗りたくっている目の下にはくっきりとクマができ、それを縁取るように小じわが目立ち始めていた。「この不健康な生活を改善しなければ寿命が縮まる」と、さすがに自分も不安になってきて、、少しずつ向き合い方を変えて・・・現在に至る。

2022年を迎えたので、今後は一層「健康で文化的な最低限度の生活」を心がけようと思う。

どうぞ、皆さまもご自愛ください。

 

さて、そんなこんなで、更新を休んでいる間に観た作品の中からピックアップしてここに記録していこうかな、と。

 

まずは、パク・ボゴム×ソン・へギョ主演の『ボーイフレンド』。

私のカラオケの十八番、aikoの『ボーイフレンド』も大好き!だけどね(^^)

kandera.jp

キューバハバナから始まるラ~ヴロマンス

なんだかんだいって私の韓ドラ歴は超浅いので知識量についてはご容赦いただきたい。初恋(初めて観た韓ドラで恋した俳優)のヒョンビン様(『愛の不時着』)から始まった私のきゅん遍歴は、

チ・チャンウク→パク・ソジュン→ユ・アイン→チャ・ウヌ→ソン・ガン→パク・ボゴム→…まだまだたくさんいる。(ちなみに、気移りしたのではなく好きな人が増えるだけだ)要は観たドラマにイケメンが登場するたびに惚れてまう単純人間なのだ。韓流イケメンにかぎって私は節操が無い。

 

でも、そこからなぜ『ボーイフレンド』をブログ再開後の紹介ドラマ1作目にしたのか、というと、とにもかくにもこのドラマの演出が私好みなのである。映像、音楽、素敵なキャスト、そして物語の舞台に出てくるハバナキューバの首都)、シーンの切り取り方(演出)が大好きなのだ。

第8話でこの作品はマルッと満点!

物語は、「格差恋愛」を貫こうとする青年ジニョク(パク・ボゴム)と財閥系ホテル支配人の大人女性スヒョン(ソン・へギョ)を描いたものだ。年齢もステータスも圧倒的に上(あれ?そんな格差恋愛はつい最近、日本でも似たような騒動があった気が…)のスヒョンが、出張で訪れたキューバハバナで大学卒業記念の一人旅中のジニョクと運命的な出会いをして…そこから始まるあれやこれ…を描いたものだ。

生まれも育ちもまったく正反対の二人が惹かれあったのは、一貫してジニョク(パク・ボゴム)の清い心であると私は断言しよう。ドラマでは早々にスヒョンが身バレしてしまうが、ジニョクからはまったく野心など感じない。(もう一度言うが、ジニョクには野心はない)

・財閥 ・格差 ・葛藤 ・親との確執 ・恋の邪魔者の登場 ・不条理の連発 ・汚職 などなど…、韓ドラエッセンスはもれなく盛り込まれている。「あぁ、またこの展開かぁ…」と思われがちだ、、、が、違うのだ。演出がマジでいい。

二人の出会いのハバナも最高なんだけど、なによりもイケてるシーンは、第8話。二人が互いの気持ちを確信し、周囲の障害にもひるまないと決意したところで、ジニョクは不当な人事に遭い地方へと転勤を余儀なくされて…のくだりである。

ジニョクは社内の送別会を断り、スヒョンと二人で送別会デートへ出かけることに。そこで、二人の出会いのきっかけとなった一眼レフカメラをスヒョンに渡し、「僕を撮ってみて」とジニョク。外のテラスを散歩する彼を、店内の窓ガラス越しにカメラを構え、ファインダーを覗きながら彼に焦点を当てるスヒョン…。その目からあふれる涙。

ウッ・・・ウウゥ・・・。ツボった!

スヒョンの涙が美しいんですよ。ただ、シンプルに彼を愛しているゆえの涙。政治家の娘とか、有名ホテルの敏腕オーナーとか、そういうのをすべて取っ払った恋する女の涙なのだ。これは、彼女の演技力と美しい演出によるものにほかならない。

切なさが美しい脱帽のシーンだ。

世の中は人権だボーダレスだと言っているけれど、やはり韓国も日本も男女格差に関していえば「女のほうが上」というシチュエーションは難しい、つまり、社会はいまだ男性中心にまわっているのが実のところだ。だから、このドラマの設定が成り立つわけで、その差を乗り越えようとする主人公の姿に心動かされるのだ。(だって、これ逆だったらドラマ設定としては弱いでしょ…)

でもって、『ボーイフレンド』がここまで美しく描き切れたのは、ジニョクがただただスヒョンを一人の女性として愛している…からである。純愛がボゴム君の演技から伝わってくるのだ。

ジニョクの格差恋愛は社内で多くの嫉妬を招き、仕事でさまざま嫌がらせを受け、家族からの反対にもあうが、こうした問題にスヒョンを巻き込まず、ひとつひとつ真摯に向き合い、結果として成果を出していく。そんな苦境に対して周りを恨むことなく、ただただ自分に与えられたものに自分の力で乗り越えようとするのだ。それは、心通じているスヒョンの厚意でさえ拒むほど。このドラマを見ていれば、誰もがこの二人を応援したくなる…のは当然のこと。

 

格差を超える、、、ということは、通常より倍、いや数倍、数百倍も、(下:妬みからの嫌がらせに負けないために自分を磨く)努力と(上:特権の放棄)をしなくては、周囲が納得しない、、、のであろう。二人の愛は「格差」(嫉妬や妬み、特権や優遇)を清さをもって越えなくてはならないからだ。

 

ぜひ、美しい大人の恋愛ストーリーを味わいたい方に、ボーイフレンドはおススメである。

『ボーイフレンド』というちょっと古風なタイトルも我々世代にピッタリだ。

 

ボゴムくんのウエルカムバック、待機中!

パク・ボゴムくんとの初めての出会いは『雲が描いた月明り』である(これもまたいつか)。

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なんてかわいらしく茶目っ気のある男の子なんだ!!(こういう息子を私は欲しい)と思っていたところからの『ボーイフレンド』、だから目がハートにならないわけはない。優しさが前面にあふれたお顔に、ふとみせるいたずらっ子のような無邪気さ、そして賢さと誠実感。正統派のよき男子!

現在、ボゴム君は兵役中(2020年~)で新作はもうちょっとの間おあずけだが、2022年内には戻ってくるであろう。

胸キュンしながら母さんは待ってるよ!

 

特別お題「わたしの推し

【お笑い】M-1グランプリ アナザーストーリーで再び涙する

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最高のバカをありがと~~~っ!

やっぱりちょっと言わせてほしい

前記事で錦鯉優勝の話を出したら、やっぱりどうしても語りたくなったので急遽、筆を執らせていただく。

2021年のM-1グランプリは、ホントに、ホントに、面白かった。

www.m-1gp.com

実はウチの娘(19歳:浪人中)はかなりのお笑いオタクで、彼女にとって1年で最もビッグなイベントがM-1グランプリである。毎年、M-1の話題が出始める頃になると、決勝進出組の予想を始め、いざ、頂上決戦の放映となると緊張してガクガク震えながらテレビの前に貼り付くのが恒例だ。だから、大晦日紅白歌合戦よりも、M-1グランプリのほうが我が家にとって最も注目のイベントであり、早々に食事の準備、お茶お菓子の準備を万端にしてこのこの日を迎えるのが定番となっている。

 

2021年も例年通り、決勝進出チーム予想から我々のM-1グランプリはスタートした。今年、娘にとっては(コロナ禍の環境+受験生という身分)という苦境の中であったが、そんなことは物ともせず、受験勉強のストレス解消という大義名分を用い、ネット配信サービスを駆使してありとあらゆるお笑いネタを収集し『今年の頂上予想』に励んだのであった。

決勝進出10組(敗者復活含む)の予想は困難を極める

1回戦、2回戦、3回戦、、、準々決勝、、、準決勝、、、と日が進むにつれ、当初決勝進出予想をしていた組があれよあれよと敗退。結果、決勝戦は決勝未経験が4組も入るという驚き。(我々の予想では未経験組は2組ぐらいだろうと思っていた)

決勝進出組と敗者復活戦進出組が出そろったところで、優勝者の予想を仕切りなおした。

M-1グランプリ2021 優勝予想組は、

娘・・・インディアンズ

私・・・錦鯉

とBETした。

 

M-1グランプリ、我が家はオリンピックの観戦以上に盛り上がった

M-1グランプリ2021の内容については、もうすでに世の中にたくさん出回っているのでここで書くこともあるまい。とにもかくにも、私と娘の感想は、「これまでで一番面白くて感動したM-1だった」ということが共通点だ。

決勝進出組は、いやぁ、ホントにどこも甲乙つけがたい。どの組も面白かった!

M-1で時々感じがちな「え?」という引き潮のような不思議な空気(これは絶叫芸の最中やその後に出場する組に起きやすい)が漂うことなく、会場と我が家のテレビ前の盛り上がりは、笑いの渦が次々と巻き起こる風だった。

結果、錦鯉優勝!の発表時、私はまさのりさんに負けないくらい号泣した。

又吉氏『火花』に重ねてしまったのかもしれない

その後、M-1に挑む数々の芸人たちの姿をドキュメンタリー風に描いたアナザーストーリーが放送されたのであるが、これがまた感動で…。

www.asahi.co.jp

観客を存分に楽しませるお笑いの裏に、芸人たちの人生が必ずあるわけで、実はそこには面白いこと、楽しいことばかりではなく、切なさとか哀しさも共存している。

アナザーストーリーはそこまで奥深く描かれていたわけではないが、やはり頂点を極めようとする芸人たちは、どの組もマジで「漫才馬鹿」なのだ。馬鹿を必死に追求している。

クズっぷりやダメっぷりも含めて彼らの感性の一部であり芸の肥やしであることは否めない。ここ数年の「世に出る人はお行儀よくおりこうさんであるべき風潮」は、実は、人間というけっして完ぺきではない生き物の営みを、社会性という一偏に矯正しようとしているのではないかと思えてならない。

クズだったり、バカだったり、どうしようもない部分もひっくるめてその人の個性と味わいが表に出るからこそ、私たち視聴者は彼らの個性と才能を楽しませてもらっている。そこを、一定の範囲に収めようとすることは、馬鹿っぷりを追求する芸人たちにとってはとても酷なのではなかろうか…。

 

もう、桂春団治はこの世には生まれない…。

 

馬鹿は突き抜ければ天才だ。過去の天才と言われいる人たちを見ればわかるだろう。破天荒だったりゲスだったり、どうしようもなくクズだったり…。突き抜ける…ということは、そういうことなのではないだろうか。M-1グランプリの審査員席に座る松ちゃんが年ごとに周りに気を使って発言しているような感じを受けるのは悲しい。松ちゃんの感性は突き抜けているのに、どこかでちょっとその感性の放出を遠慮しているのではないかと思うと辛い。

私のように凡人として生きていくほかない人間にほどほどの品行方正は任せていただき、突き抜けた天才たちの生き方はもうすこし自由にしていてもいいのではないか。天才たちの才能を享受しているのならある程度の脱線も見逃したっていいのではないか。

そんな、、、今の風潮にめっちゃ反することと理解しながら書いている。ご容赦ください。

 

・・・ということで、2022年が良い年になりますように!!