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【エンタメ】いま、何故『マツケンサンバ』が求められているのか?

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あ~ぁ 恋せよ、アミーゴ!(吉宗公)& 青春アミーゴ!(修二と彰)、SwitchはAmiibo!

 

夏の消化不良が年末に解消?!

東京オリンピック開会式のときに、多くの在宅観覧者たちがSNSマツケンサンバを求めている声がバズっていて、

「たしかになぁ…」と思った人は少なくないだろう。

我が家も家族全員でオリンピックの開会式中継を観たけれど、あの演出・・・なんだか出汁がきいていない和食みたいで、、、どこもかしこもパッとせず、締まりがなくてモヤッとして、

「あれ?演出ってMIKIKOさんじゃなかったっけ??」と確認したら、どうやらいつの間にか違う人に代わっていたらしく…。

日本人であれば和食には出汁が重要であることを知っているはずなのだが、代わりに政治的な何かというスパイスを入れちゃったんだろうなぁ。あーあ、至極残念である。

さて、そんな我々の不満も時の経過とともに薄らいできた2021年の大晦日。日本の年末恒例イベント、紅白歌合戦で、口惜しいオリンピック開会式のリベンジが果たされた模様。NHKって意外と攻めてるよねぇ。

劇団ひとりさん、よく同じ演出を受けたなぁ、と感心した。もしかして、ひとりさんも自分がオリンピック開会式の演出に満足していなかったりして。

 

いま、何故『マツケンサンバ』が求められているのか?

マツケンサンバ、と我々は言っているが、実は、いまテレビの音楽番組で松平健さんが歌っているのは「(ツー)」である。マツケンサンバには「Ⅰ(ワン)」も存在する。

マツケンサンバⅡのリリースは2004年。ちなみに、当時、私はCDを購入している。

あれから17年も経っているのに全く色あせない。それどころか、人々の心を釘付けにする魅力が増したように感じる…のはなぜだろう。

 

その答えに、コロナ禍があることは否めない。

 

サンバといえばリオのカーニバル。全裸に近い極小サイズのコスチュームを身にまとい全身をフリフリ…。互いの汗が混じり合うような熱いダンス。

サンバの音楽を聞いて心躍らない人がいるだろうか。

とにもかくにも陽気で明るい音楽である。

人との距離を強制され、行動に制限がある中で、絶えず周囲を気にしながら生活しなくてはならない今、サンバは我々の生活からは最も遠く、かつ、憧れの世界となった。

人は手に入らないものを求める。溜まりに溜まったフラストレーションの解放…。

 

マツケンサンバⅡには人を笑顔にする力がある

水曜日のダウンタウンの企画でも、

マツケンサンバを踊りながら泣くことはできない』説が完璧に証明されたように、どんなに悲しくても、苦しくても、マツケンサンバⅡを歌うと涙なんて出ない。

ちなみに私自身でもこの実験をしてみた。私には、思い出すとすぐに号泣してしまう愛猫の死という悲しい経験がある。この経験を実験に用いてみた(ニャンちゃん、ゴメンねー(_人_)。あの悲しい日の出来事を思い出しながらマツケンサンバⅡを歌い踊ってみると、、、ふだんなら秒で涙ポロポロなのに、どうしても涙が出ない。それどころか、思い出す悲しみが次々と彼との楽しい思い出にすり替わっていくではないか!

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......すごい力を持っているのだ。

 

2021年は結局、私たちは『マツケンサンバⅡ』の力を借りねばならない年だったのだ。

 

マツケンサンバⅡ』と『まつり』の違い

それにしても、紅白歌合戦松平健さん、スケボーに乗って登場したのには驚いた。あのお歳で体幹が鍛えられているのね。さすが、かつて暴れん坊将軍と言わしめただけはある。

徳川吉宗公と言えば質素倹約を旨とする享保の改革を行った将軍だが、マツケンサンバⅡを踊る殿は豪華さと栄華を誇っていてそのギャップも萌える。

ちなみに、例年、清水寺で発表される『今年の漢字』。マツケンサンバⅡがリリースされた2004年は新潟県中越地震があったこともあって『災』だった…。ということは、けっこう忍耐の年だったのね…。

そんな辛抱を強いられるときに、マツケンサンバⅡは求められる

我慢と忍耐。試練と苦労…。そんな精神の耐久レースに挑むために、マツケンサンバⅡというエネルギーを注入してなんとか乗り越えんとするのだろう。

 

さて、紅白歌合戦でいえば、過去にマツケンサンバⅡに匹敵する名曲があるとすれば、北島三郎さんの『まつり』だ。私は『まつり』を聴かねば年が越せないというほど、この曲を大晦日に聴くのが好きだった。が、『まつり』の持つ力は、「日本人で良かったね」「今年も無事でよかったね」的な安心感で満たされる感じであって、悲しみや苦しみを癒すものではない。比較的、平和で調子が良いときは『まつり』で安心したい気がするんだけど、忍耐の年に『まつり』だと「ごめん・・・ちょっと無理」と言いたくなるのは私だけだろうか。

とにもかくにも、いま『マツケンサンバⅡ』が求められているのは確かだ。コロナ禍はいまだ出口が見えず、大きく変化した生活に疲弊している人も多いだろう。2022年はどんな年になるのだろうか。いましばらくは、健さんに頑張って歌い続けていただくしかなさそうだ・・・

というのが私のあくまでも個人的な感想である。