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【映画】水曜日が消えた:俳優中村倫也を存分に堪能

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曜日ごとに入れ替わる人格。さて、ホントの自分は?

 

自粛解除後、はじめての映画館

最後に行ったのは3月半ばだったから約3か月ぶりだ。

 

自粛解除といっても、東京はまだ感染者数がゼロになったわけじゃないし(現実的に考えてゼロ、にはならないよね…)、これからも感染拡大防止を心がけた生活を続けなくちゃならない。それは重々承知しているけれど、いつまでも引きこもり閉じこもっているわけにもいかない。

 

映画館が営業再開…ということで、ずっと我慢していた映画館行きが叶って、ようやく自粛解除の実感をほんのすこし感じた。といっても映画館の感染防止策はきちんとしている。座席も空席をひとつ挟むし、シアター入り口では検温もあった。ポップコーンやジュースは販売しているけど、基本鑑賞中はマスク着用。入りと出でアルコール消毒。

若者が少ないだろうと日比谷の劇場をチョイスしたからか、街自体、人が少なかった。

水曜日に観に行った『水曜日が消えた』

入場者数はたとえ満席でも、収容人数の半分がMAX。営業的に興行収入的に心配しながらも、レディースデーの水曜日に行ってしまう習慣を変えずにごめんなさい。(ホントはね、こんなご時世だからね、割引なしのときに行ったほうがいいんだろうけれどね…)。

 ネタバレはしたくないので、ストーリーを知りたい方はこちらからどうぞ↓

wednesday-movie.jp

子どもの頃の事故による脳の損傷が原因で、曜日ごとに人格が入れ替わるという特殊な身体を持ってしまったこの映画のメイン人格の『火曜日』。

彼は、7人の人格の中で最も地味で几帳面で控え目。他の曜日の人格とはノートや付箋紙に記録することで情報共有して日々を過ごしている。

彼は、この人格のせいで孤独に生きているが唯一の友人、一ノ瀬(石橋菜津美)は彼の人格の秘密を知る元同級生であり、友人として彼を支えている。

ある日、『水曜日』(の人格)が消えた。

『火曜日』は、水曜日も過ごすことができるようになるのだが、そこで、火曜日が毎朝ゴミ捨ての時にすれ違い笑顔を向けてくれる女性の正体がわかる。図書館司書の瑞野(深川麻衣)だ。図書館は毎週火曜日は休館だったので『火曜日』は図書館に行くことができなかったのだ。『火曜日』は、『水曜日』と瑞野とはなかなかいい関係であることを知る。そして、『火曜日』も瑞野に好意を抱くようになり…。

それぞれの人格が入れ替わり、しだいに、統合(?)されていく異変に気づき…。さーて、どうなるのか?は、ぜひ観てください。

 

中村倫也さんのほぼ独り芝居です

この映画って、本来は5月上映だったんですね。…ということはつまり、コロナ禍前に撮影されていたってことなんでしょうが、この映画を観て思い出しました。林遣都くんの『世界は3で出来ている』を。

www.fujitv.co.jpソーシャルディスタンスドラマ。林遣都くんの独り芝居なのだけれど、よくできていました。面白かった。

なんとなーく、このドラマがふと頭に浮かんで、この映画もソーシャルディスタンスムービーっぽいなぁ、と思ったわけです。

それくらい、俳優中村倫也を堪能できます。映画のメインキャストの人格は『火曜日』だけれど、全部で7人の人格を演じています。しかも、映画の終盤は人格の入れ替わりが激しくなり…。あれ?っていうどんでん返し的な展開も楽しめます。その演技力に感嘆です。

ロケ地も限定されるし、キャスト同士のからみは少ないし…。こういう映画ならコロナ禍の最中でも撮影可能なんじゃないかな、と思う。けれど、そんなことを想定していたわけじゃないのに作ったという偶然性。

 

だれにでもいろんな人格がある

曜日別に入れ替わることはなくても、だれにだって一人の中にいろいろな人格を持っていると思う。

たとえば、『母親としての人格』だったり『妻としての人格』だったり『仕事中の人格』だったり『友だちといるときの人格』だったり…。

旧友と会う時は顕著だ。幼稚園~小学校~中学校時代を知る友人たちと会うとなぜか当時(子供の時)の自分に戻ってしまうし、

そうやって、ちょっとずつ違う自分を感じながら生きている。で、結局「どれがホントの自分なの?」と問われても、「どれも・・・ですよね」と。わざわざ演じ分けているわけじゃないけど、人って周りから期待される役割によって少しずつ自分を変えて(順応して)いるんだと思うんですよね。

よく世間で流れている、「ママだって~」とかいうキャッチフレーズ。親である自分もホントの自分じゃないか、って思うんですよね。それを(子供の保護者として、子供を養育しなくてはならない責任を負っているためにホントの自分を抑圧している役割)という解釈にしちゃった時点で、苦しくなっちゃうんじゃないかなぁ…と。無理して、ホントの自分を見出そうとしなくていいんじゃないかなって思うんですよ。

ホントの自分探しでわざわざ苦悩しなくても、それぞれの役割を背負った人格は、どれもホントの自分でいいってことを認めて、互いの人格同士を否定せず、仲良しになっちゃったらきっとラクに生きられるんじゃないかな…と。

 

そういうことをこの映画を観て思ったわけです。

結局、どんな人格の自分もホントの自分として愛せたら、今自分の周りに起きていることに無理せず抗うこともなく、等身大でラクに生きられるんじゃないかな、と。

 

久しぶりに映画館に行って「あぁ、戻ってきた」と嬉しかった。

エンタテイメントを楽しめる世の中が平和である証、なのだ。