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イヤミスを連発で観て、やっと自分がコロナ前に戻れた気がした件:『女子高生に殺されたい』『死刑にいたる病』

見たーい...見られない…見たーい…but...見たくなーい…

1年の1/4を静かにおとなしく過ごした2022年

2022年1-3月期。外出は仕事とマストの私用のみに限定し、私は粛々と過ごしていた。

…というのは受験生がウチにいたから。私から受験生に感染させて一生恨まれるなんてたまったもんじゃないし、親としての役割は健康管理のサポート(食事づくり)だけだし、ただただおとなしく仕事と日常生活の維持に勤しみ、余暇は本とコミックと動画配信サービスを楽しんだ。

それはそれで穏やかな日々だった。

 

あっという間に時は流れて、厚手のコートが要らないことに気づいたら桜のつぼみがプックリと膨らんでいて、風に乗って新緑の匂いが…。

「うわぁ、もう春じゃん!」

ようやく冬眠から抜け出そうする気になった私が、2022年になって初めて映画館に行ったのが第94回アカデミー賞で作品賞を受賞した『Codaあいのうた』。つまり、まるっと3カ月余も映画館に足を運ばなかったことになる。

gaga.ne.jp作品から勇気と元気をもらった。たぶん、これでハッキリと目が覚めた気がする。

久々の日比谷界隈。冬の寒さと自粛ばかりの生活から解放されようとしている街の空気に触れて、地上に這い出た気分の私は、従来の生活を取り戻す意欲が湧いてくるのを感じた。

みじん子、元の生活に戻ります!」活動再開宣言である。

活動再開宣言から1発目『女子高生に殺されたい』

joshikoro.comよく出来ていた作品だった。

出生時にインプットされたトラウマ(?)から起因した性的嗜好によって自分殺害計画を企てる男性教師とその罠にかけられた女子高生を描いた物語。心理学的にはこうした心情を「オートアサシノフィリア;自分が殺される状況に性的興奮を覚える性的嗜好」というらしい。

目的を遂行するためにわざわざ高校教師となり、ターゲットが所属する女子高への赴任を果たす教師 東山春人(田中圭)。彼の狂気ぶりを存分に味わえる作品だ。

タイトルの軽さ(「女子高生の無駄づかい」みたいな。笑)に反して、「自らの死」への理想と執着を田中圭さんが見事に演じている。鳥肌を立てながら味わうことができる。(※ネタバレ無しなので、興味のある方はぜひ作品を観てほしい)

 

あれ?・・・好みが変わった?!

実は、コロナ禍になってから私が観た映画やドラマはハラハラドキドキはあっても「平穏無事」な物語ばかりを好んで選んでいた。

だから、この作品を素直に「観たい」と思ったのも、しかもエンジョイできたのも、自分のコトなんだけれど、なんだか意外だった。

実は、もともとは『イヤミス』は嫌いじゃない。

これに気をよくした私は、つぎは劇場の番宣で興味を持った『死にいたる病』を。

 

狂気と残忍さに震え上がりながらも、見応えに満足した『死にいたる病』

siy-movie.comこちらも絶賛上映中につき、あらすじは書かないことにする。

まあ、とにかくエグくてエネルギーが要る作品だった。

「こんなこと(現実には)ありえないだろう」的な事件だが「もしかしたらありえちゃうかもしれない」と思ってしまうのは、キャストの演技力の高さなんじゃないかと思う。登場人物と演者がピタリと合っていた。

気力体力、鋭気を養ったうえで、ぜひ観てみてはいかがでしょう。

鳥肌と冷や汗をかき、軽い息切れをさせながら劇場を出たけれど、いやあ、面白かった。

見ごたえのある作品に出合えた時の達成感みたいなものを感じた自分に自分がちょっと面食らった。

 

元に戻れたのは冬眠のおかげ?!

劇場に足を運んで映画を観るという満足感もあるだろうけれど、私がここ2年余の間、全く観る気になれなかったジャンルの作品を「観たい」と思い、しかも満足すらできている。

これは、自分の状況を「映画によって知る」という現象だと思う。

「たぶん、(コロナ前の自分に)戻ったのかな…」

と感じた。

もともと暴力的なシーンや流血や、ホラーやスプラッター、動物虐待モノは超苦手だ。それは以前から変わらない。でも、物語の主軸が人間の心理にフォーカスされているものであればどんなに怖くてもけっこう大丈夫だったし、好きだ。

心理的な怖さは逆に「面白さ」さえ感じることができるので、イヤミスは大丈夫だった…が、振り返ると、この2年余りはほとんど避けていた。ホッコリするもの、優しいものばかり選んでいた気がする。

自分はコロナ禍社会にあまり影響を受けていないと思っていたが、今回、立て続けにイヤミスな恐怖を味わえるジャンルの作品を存分に楽しむことができて、自分の変化を実感した。

「(コロナ禍)前のジブンに戻った・・・みたい」だと。

 

心に余裕がなければ、他者を慮り譲ることができないように、

心に余裕がなければ、悲しみや苦しみ、苦手は受け止められない。

テレビから流れてくるニュースがコロナ禍だけにとどまらずどんどん重苦しいモノばかりになり、朝のワイドショーは全く観なくなり、『あさイチ』か『ラヴィット!』で1日をスタートする習慣になっていた。

そんな、まるっと3か月の冬眠期間。自分に流れてくる情報は自分の意思で取捨選択することにして、気持ちよく過ごすことを大事にしていた。

毎日言われている(であろう)感染者数の推移ももうどうでもよくなっていたし、世界情勢も悲惨だがそのニュースをあえて避けた。「知ろうとすること」だけが良いわけじゃない。選んでいいし避けてもいい。これまで誰よりも「知りたがり」の私が流れ込んでくる情報を意識して拒否してみた。

・・・すると、

自分の周りは平和だ。平穏無事だ。そのことが妙に有難くて、感謝せずにはいられない。

「自分さえよければ」という気は全くないけれど「自分の周りにある幸せ」にすら気づけずにいる日々を過ごしたくはない。

情報という波が荒れていればいるほど、上手に受け流して、穏やかな「凪」が来るのを待ちたいと思った。

そのおかげか、自分は従来のジブンを取り戻し、平和じゃなくても穏やかじゃなくても優しくなくてもエンタメの作品なら存分に楽しめる。

とにかく面白い。劇の中に没頭できる!

 

世の中の変化に慣れたわけじゃない。きっと、素直に(仕方ないとは思いつつも)受け入れたんだと思う。

いいことばかりじゃないし、我慢も強いられてきた。だから、諦めたんじゃなくて・・・受け入れたんだと思う。

「ま、なるようにしかならないし~」的な。

 

人生の後半を生きている自分は、ただただ「時間」を大事にしたい。

元気で楽しく過ごせる時間は永遠にあるわけじゃないからね。

報道から心を痛めがちな人は、積極的に流れ入ってくる情報の取捨選択をしたほうがいいと思いますよ、自分で選べるんですから。

 

究極の快楽は『エロスとタナトス』なのかも

2作品ともに、物語の中核は『エロスとタナトス』を描いているんだと思う。

両作品とも、犯人の個人的嗜好を描いているが、なんだかんだで社会だって同じようなものだ。

www.amazon.co.jp

この本を読めばさらに「ほほう・・・」とうなずけるのかもしれない。

狂気は特別な者だけのものではなくて、自分の中にも在るし、逆にそれが束になれば「正義」とさえ思えてしまうんだろう。

 

ということで。

元来のジブンに戻れたことを確認できた2作品、面白いですよ。おススメです!