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【映画】だってしょうがないじゃない:ここまで面白いドキュメンタリー映画は珍しい

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ポジティブな「だってしょうがないじゃない」を初めて知った

 当記事更新日時点で、映画『だってしょうがないじゃない』は上映中。オススメっすよ♪

選んだ映画がアタリ続きの大安吉日

 映画館に足を運んで満足の作品に出合うと、まるで商店街のくじ引きでアタリを引いたようなラッキー&ハッピーな気分になる。公開中の映画を観に行く、とは、自分からお金を支払って劇場に足を運ぶという能動的なアクションである。インターネッ上のターゲティング広告をはじめとして、サイトを開いていればなんとなく目にするこができる受動的コンテンツとは大きく違う。

 映画鑑賞ってそれが面白いか否かは観てみなくちゃ分からないし、観る作品は自分で選ばなくちゃならない。私の場合は評判よりも作品自体への興味という直感と、だれかに誘われるという縁だけで観に行く映画を決めるので、実際に観てアタリorハズレがあることは否めない。が、私は映画に「ハズレ」はないと思いたい。

 作り手としてはそれがベストだと思って作品を製作しても作り手と観客が同じ価値観で観ることはできない。しかも映画は作り手が掲げたテーマに基づいて演技・演出・撮影・音楽等を駆使した表現という形で製作される。つまり、映画という表現を用いた芸術であれば、作り手の気持ちが伝わる人もいれば、まったく伝わらないこともある。美術作品と同じようなものだ。

 作り手の価値観を観客に強要したらプロパガンダ映画になっちゃうもんね。

 だから、私にとって映画とは自分の物差しをあてて批評・検証する対象ではなく、どんな作品にも自分の中に「面白く観る」センスがあるのではないかと模索することが好きなのだ。

 

 グダグダと長くなったけど、とどのつまり、私にとってここのところ観る映画がどれもアタリ!で、現在、幸せモード確変中!ということを言いたいのである。

 これ、免疫力UPに役立つはず!私の新型コロナ予防対策でもあると思いたい。

 


 

念願のユジク阿佐ヶ谷に行ってきた

 先日、久しぶりに雨が降った。超乾燥の日々が続いているから”お湿り“は大事だ。ただし、外出は面倒。傘が嫌いだから。

 そんな日に、阿佐ヶ谷まで足を延ばした。目的地は『ユジク阿佐ヶ谷』。ずっと前から行きたいと思っていた映画館だ。

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阿佐ヶ谷駅近くの路地にひょっこり現れる映画館

 …というのも本来私はミニシアター系の作品が好きで、若い頃は頻繁に行ったものだ。ミニシアターで大アタリを引くのは、地方都市へ出張に出かけ、仕事を終えて仲間とのれん街で適当な店に入ったが、それがすごくイイ店だった!というようなラッキー感と同じである。最近は、シネコン系に出掛けることが多くなって、ミニシアターまで手を伸ばす機会がなかったけど、今回、アタリ作品を引いて「そうだミニシアター、行こう!」と改めて思ってしまった。

www.yujikuasagaya.com

 2018年に公開していた『縄文にハマる人々』という映画を観たくてこの映画館を知ったんだけど、当時、あいにく日程が合わずに逃しちゃった(悲)。

www.jomon-hamaru.com

 ホントは自主上映会でも企画して開けばいいんだけど、過去、とある映画の自主上映会をやった経験からけっこうな労力が要ることを知っているので、それは腰が重すぎる…よってDVDで観るしかない。

 

 さて、今回観た映画は、人生最高な時を謳歌中の20代ッ娘(姪っ子ちゃん)が誘ってくれた

『だってしょうがないじゃない』である。

www.datte-movie.com

いやぁ、単純に「面白いドキュメンタリー映画を観た!」

 映画『だってしょうがないじゃない』坪田義史監督の作品。

 パンフレットの監督インタビュー記事に、過去作『シェル・コレクター』の興行がうまくいかずに精神的に参ったことをきっかけに精神科に受診したら自らの発達障害が判明したと書いてあった。

www.bitters.co.jp

 ということで『シェル・コレクター』(2016年2月公開)を観た。盲目の貝類学者を描いたリリー・フランキー主演、寺島しのぶ池松壮亮橋本愛…という豪華キャスト、奇しさと危うさが巻貝の螺旋のように絡まりながら静かに進行するストーリーがとても良かった。

 

 話が前後するが、坪田監督は精神科に受診した際にたまたま発達障害の診断が下りたとのことだが、それまでの自分の生きづらさや失敗談が特有の症例と合致することでホッとするどころか「ダメ感」とともに孤独を感じた混乱期があったそうだ。医師から「自分のことを知ることは良いこと」と励まされるが、なかなか受容するまでには時間がかかったとのこと。

 親に話しても「大学まで出てるだろ」と全く理解してくれない、ひと悶着あったところで、「発達障害の人っていうのはもっと違う(スゴイ)人だよ」と親戚に発達障害の叔父さんがいることを聞き、彼に会うところから映画は始まっている。

 

 叔父さんの名はまことさん、63歳のオッサンだ。父親を早くに亡くし母と子で暮らしていたのだが2011年、母親の死をきっかけにまことさんが「独居に困難がある」と親戚の中で知られるようになり、親類のマチ子おばさんが後見人として面倒を見ることになったのだ。

 

とにもかくにもカワイイまことさん

 映画はしつらえ感が皆無のドキュメンタリーで、ナレーションは坪田監督自身であり、それはまるで『ウチの叔父さんとボクの記録』というホームムービーのような世界である。それがとても観る側をラクにしてくれる。

 いまでは漢字表記についてもいろいろ言われる(障害)を取り扱うドラマや映画は、ひとつ間違えると健常者にとっては実にキツい、偽善めいたあざとい作風になりかねない。それは私自身のひねくれた人間性の問題なのかもしれないけれど「どうだっ!」という自己顕示が見えてしまう(演出)は、感動というバス停をスルーしていきなり興ざめという終着地にワープされてしまうのだ。

 ところが最近、Eテレの『バリバラ』みたいな新しい形の番組が登場している。相互理解とは、ハンディキャップがある側を「理解しなければならない」という一方通行ではなく、ハンディのある人もそうでない人も、結局は同じ人間なんだよという土台の上に成り立つ方が誰にとっても身近なことだと受け入れられるのではなかろうか。特別感など取っ払ってごく日常的なもの、それを余計な演出などせずにありのままを見せてくれたら、と思う。

 そんな作風が、昨年末に観たスペイン映画『だれもが愛しいチャンピオン』に似ている。ひたすら愛しさを感じる作品だ。

entame-i-ga-tomaranai.hatenablog.com

「好き!」があるのは誰もが同じ

 まことさんは仮面ライダーと乗り物が大好き。2つの戸棚にそれぞれ綺麗に並べられているフィギュアやミニカー、そこが彼の宝物スペースであることが分かる。ただ、なぜかその戸棚の間に大切に立てかけられているのがJKのスカート覗きのエロ本。近くのコンビニで買ったと言う。彼にとってはこれも宝物・・・なんだけど、マチ子叔母さんに見つかって、こっぴどく叱られる。

 マチ子叔母さんの言い分としては、「そういう本を見るだけならいいけど、そのうち自分を抑えきれなくなって本当に触りたいとか見たいなんてことにならないか?」という心配、いわゆる親心である。

 叱られたまことさんは、しょんぼり下を向きながら坪田氏に、「エロ本を持って、見るのって悪いのだろうか?」と相談する。「俺はそういう(実際の行動に出る)ことなんてしない」「そういうことをする人は分からない」のに…。

 映画ではハンディのある人たちに対する危機管理という名の下で強いる行為・行動の制限をどこまでやっていいのかという問題が日常生活の中にちりばめられている。

 まことさんの家の庭から飛んでくる落ち葉で隣人からクレームがしょっちゅう来るし、風の強い日に外にごみをまき散らして「今度やったら警察を呼ぶぞ!」と言われたり。

 ごみの問題は、よくよく聞いてみると、まことさんはレジでもらう買い物袋を飛ばしていたのだった。袋が風を含んで大きく膨らみ、ふんわりと空を舞うのがとても綺麗だという。「ダメだと分かっているんだけど、どうしてなんだろうなぁ~。僕は頭がおかしいから…。気づいたらやっちゃってるんだよなぁ…」。彼の愛車(自転車)のハンドルにも風にそよぐ紐が結んである。「これは飾り」だと。

 あぁ…そうなっちゃうよなぁ…。彼はこれまでの過程で叱られることが多かったに違いない。だから思考は基本的に自己反省から始まっているように映る。

 

寄り添う人が彼らの生きづらさを助ける

 またもや叱られて元気をなくしているまことさん、そんな彼のところに定期的にやってくる傾聴ボランティアさんの姿が素晴らしい。優しく彼の声を引き出し、彼自身が「玄関のところに『外にごみをまかない』という注意書きを大きく貼っておけば、それに気づいて我に返るのではないか」という案を引き出す。

 他人が提示するのではなく、本人が問題について考え、解決策を出せるようにする…という姿に、これはどんな場所でも誰に対しても役立つものではないかと感じた。

 まことさんは知的障害を伴う自閉スペクトラムを抱えているが、とても人に愛されるキャラクターであることが画面から伝わってくる。けっして強がらない。他人の話を聞こうと努めている。自分をズルく胡麻化さない。ゆえに悩む…素直な人だ。

 そんな人柄だからか、坪田氏だけでなく、支援の人たちがまことさんのところへ通ってくる。つまり、けっして独りではない。

 

三年間の二人の記録

 映画はまことさんの愛らしいエピソードが満載なのだが、そんな彼を撮り続ける坪田氏の姿も並行して描かれる。そこに強引な割り込み感は無くごくごく自然だ。血縁関係のなせる業なのか、ホームムービーから伝わる安心感のようなものが余計な演出などを感じさせない真っ直ぐな記録として伝わってくる。

 互いに凸凹を持つ不自由さを理解しあえている同士というような絆の中に、生きづらさを抱えながらもどうにか楽しく生きていきたいよね、という前向きな姿勢が見て取れて、少しずつ「これでいいじゃないか」という自己肯定感のようなものが育まれていく過程を私は見た。

 結果、

「これでいいじゃないか」の言葉に続いて「だってしょうがないじゃない」なのである。

 

線引きする意味って?

 先に書いたまことさんの『エロ本事件』。マチ子叔母さんに叱られたことで本当に悩んじゃったみたいで、坪田氏の父親、つまりまことさんにとっての叔父さんに相談しているシーンがある。そこで坪田氏の父親が、つぎのようなニュアンスのことを話していた(正確な言葉は忘れた)

「世間では、裁判官とか教師とか社会的に偉いっていわれているような人が痴漢などのわいせつ行為で捕まったりしている、こういうニュースを聞くと、はたして彼らは正常なのかって思うよね。まことはエロ本を見て楽しんでるだけ。それは健全な男として当然なことでしょ。そういうまことと彼ら、どっちがおかしいのかって・・・」

 

 まことさんには、人にどう思われたいとか、どう見せたいというような思考は皆無である。極めて素直に、長く連れ添った母親の言いつけと、マチ子叔母さんの指導を懸命に守ろうとしながら生きている。

 彼を見ていると申し訳ない気分になる。こんなにピュアで素直な人が「生きづらい」と感じる世の中の一員であることに。

 

誰にもやってくる〝老い“の問題

 まことさんは63歳。どうやら自宅は借地権らしく、映画の中では更新が近づいている状況だった。面倒を見ている叔母や叔父の目が黒いうちに、まことさんを相応の場所(施設)に住まわせたいと考えている。

 まことさんの本心は、幼い頃から暮らしてきた自宅で生きていきたいと思っているはずだ。でも、マチ子叔母さんの言うことだから逆らえない。これから歳をとり、自分で自分のことがもっとできなくなることは間違いないし、まことさん自身もそれは理解できていて自信もないはずだ。映画では「来年の12月31日までに…」といっていた自宅の引き払いは、今年の年末なのかな?あれからどうしているだろう、まことさん…。

 

 劇中、地元の七夕祭りでまことさんが願い事を短冊に書いた。しかも2枚。1枚目はとてもまことさんらしい内容だったし、2枚目は「ホント、私もそう願うよー」という内容だった。彼が書いた言葉に、多様性の理解の本質が見える。彼の個性の尊重と、だれもが同じく幸せになれる世界を同時に願いたいものだ。

 

 もう一度言います。とても面白いドキュメンタリー映画を観ました。ぜひ、劇場に足を運んでみてね~!

 

★みじん子レーダー【映画】だってしょうがないじゃない
●ドラマティック度:★★★☆☆
●鑑賞後の心地良さ:★★★★★
●ドラマの重量感:★★★☆☆
★"面白い”の言葉じゃ足りない面白さで続編も観たいドキュメンタリーの119分