エンタメ愛が止まらない!! リターンズ

愛するエンタメを語りつくせ!!

【映画】縄文にハマる人々:BACK TO THE PAST!!

f:id:entame-lover:20200413170507j:plain

マイ土偶、作りたーい!!

縄文にハマる人々』が配信中!

過去記事に書いたんだけど、見逃しちゃってとっても悔やんだ作品、『縄文にハマる人々
がなんと配信されていると知って早速、購入しましたよ。

asiandocs.co.jp

www.jomon-hamaru.com

とにかく。とにかく縄文にハマっている人たちがそれぞれ抱く縄文の魅力がこの映画で語られます。

…ということで、映画の内容は観てのお楽しみ!ってことで〜。

ぜひ、縄文時代に興味がある方は観てね~!

 

縄文ってめっちゃエモいよね?

縄文時代って、今から約12000年くらいから2500年前くらいまでの間をいうんだけど、縄文時代ってあまりにも長くない?

だって弥生時代は今から約2300年くらいから1700年前くらいまでですよ、弥生時代って縄文時代と比べたらめっちゃ短い。

逆に、縄文時代は、キリスト誕生から我々が今大変なことに遭っている今に至るまでの、いわゆる西暦でカウントした2020年間よりも何倍も長いのだ。

約1万年間って、めーっちゃ長い。つまり縄文時代だけをとっても、約1万年近くの間でものすごーく人間は変化しているはずで、その集大成が土器や土偶で表現されているとしたら、それっ相当高度というか…、逆に現代人よりもスゴく進化していたのではないか?と思ってしまうのだ。

 

縄文時代といえば、なんといっても縄文式土器、それと土偶。そのフォルムは、人類史上最もアーティスティックで、日本のオリジナリティを表現しているものだと思いませんか?

…私は、思います。(笑)

 

子どもの頃、初めて歴史を学んだ時、教科書に載っている縄文の土器や土偶を見て「これって、、、弥生時代のもの写真が逆になってない?」と思ったものだ。

…そういう疑問、間違ってなかったみたい。劇中で「弥生はむしろ縄文から退化した…」という発言をしている人がいたのだ。そう思ってたのは自分だけじゃない。

教科書経由の縄文時代。これが私の歴史好きの第一歩だった。なんで?!こんなに?!実用的じゃない形のものをわんさか作って、使ってたんだ?という単純な疑問。

 

そういう疑問と、フォルムの魅力が誰も証言できない過去を代弁しているから、遺跡や遺物はめちゃめちゃ面白いのだ。

 

もしかして、縄文時代に回帰したい?!

縄文式土器のあの複雑でアンシンメトリーの造形は、自然そのものを表現していると語っている人がいたが、私もそれに強く納得する。

きっと縄文時代は、この地球の主人公が人間ではなく、自然の中の一部として生きる一種の生命体に過ぎないことがベースにある気がする。

映画の中で、縄文式土器(火焔型土器)が、焚火の中に置かれたシーンがあるのだが、それはまさに炎そのもので、実際の炎と同化しているように見えた。

登場する土偶もいろいろ。今、流行っているキャラクターに似ていたり。なんともカワイイ。

どれもねソウルフルなんですよね。

 

つまり、縄文時代って実用性とか便宜性とかを全く無視している。その分、万物に宿る魂というかエネルギーに対して強く敬意を払っている…ということが伝わってくると、私は思うのだ。

それってつまり、森羅万象を人間の力でコントロールするんじゃなくて、森羅万象の中のごく一部に人間が生かしてもらっているという謙虚さというか…。日本列島で暮らしていた本来の日本人のアニミズムのベースは縄文時代なんじゃないか、と。

 

そう考えると出土した遺物がどれもファンキーなんですよ!

そのソウルに気づき、日本の美術史を変えたのがあの岡本太郎氏。「芸術は爆発だ!」の人です。そのことについて映画でも語られていますよ。

太陽の塔…縄文っぽいでしょ?

 

ということで、縄文時代を引っ張り出すといろいろ話は尽きないんだけど、こんな時だからこそ今『縄文スピリット』って欲しいと思いません?

私たちは、無駄を徹底的に排除して効率ばかりを重視し、デジタル活用で「0か1か」の基準で物事を考えようとしすぎていなかったか?と。

縄文の文様は規則性やシンメトリーは無視しています。形など実用性のカケラもない。つまり、この世の中ってどれも違っていてアンバランスの中でバランスが保たれているというか…。そういう物事の見方をすっかり失ったからこそ今、不測の事態にただ混乱してしまっているのではなかろうか?と思ったりするわけです。

 

規則性が見いだせない、想定外のことが起きるのがこの世の中であり、自然なのだとしたら、その変化に順応すること、つまり柔軟性が大事なんじゃないかな?と。

あり得ないことが起きてしまうということを経験しているからこそ、意固地にならず、でも、自分をしっかり持って、あらゆる風が来ても倒れないよう、しなりしなりと心と身体を動かして、状況をみる力が必要かと思ったりしている。

頑固や意固地、強がりややせ我慢ではとても生きにくくなるのではないでしょうか?

 

さて、あんなにファンキーな縄文時代が、なぜ弥生時代にガラリと変わったのか、それは今でも謎です。

でも、ひとつ言えることは、『価値観が一転した』という過去の事実。

 

世の中って激変、急変することがある…ということを、縄文式土器弥生式土器は言ってくれているんじゃないでしょうか?

 

縄文時代の人たちに、今の世の中について聞いてみたいです。

「こういうやり方って、こういう社会って、、、この先、うまく危機を乗り切れますか?」と。

なんて答えるでしょうねぇ…。