【映画】人生に落第などないけれど… -人間失格 太宰治と3人の女たち-
『斜陽』を読んだのは高校生の時、その衝撃は今でも忘れない。なんとなく優雅なメロディがBGMで流れてくるような品のある文体とは対照的に凋落する主人公の様は、レオ様の『タイタニック』が沈むシーンを見るようで、不思議な心地良さとともに一気読みした覚えがある。今風で言えば「シャレオッティ!」で「ワンチャンワンドキ!」である。以来、太宰の作品をひと通り読んだが、「彼は天才」であり、我々凡人の届く処にはいないと思ったものだ。文体で惚れさせるとは「さすが女性と入水自殺をするくらいの色男!」なんて、軽々しく思ったものだ。なぜなら、読者であった私がまだまだ若く蒼かったからだ。
あれから30年余りが経過し、再び太宰と出会うことになった映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』。映画の感想は後述するが、まずはこの映画をきっかけに、私が10代の頃に読み惚れた「斜陽」「ヴィヨンの妻」「人間失格」を再読した。
すると、なんということでしょう!(ビフォーアフター調)
あの感激がリフレインされることはなく、得も言われぬ空虚感でドキドキどころか、げんなりしてしまったではないか!
彼は筋金入りのだめんずじゃないですかっ!!!!!!
過去の憧れが、キザな言葉を並べるイケメンに『こんなにイイ男なら騙されてもかまわない!』と惚れてしまう夢見る夢子的な未熟さと、どうしようもない奴でも『私なら理解してあげられる』と忍耐強く夫を支える良妻的な勘違いが、(だめんずに惚れる自分が好き♪)という自己愛で埋めようとして「私っていい子!私ってス・テ・キ!」と思いたかったからなのではないかと今更ながら恥ずかしくなった。
人生の後半戦に入り、いろんな人と出会い、いろんな経験を積んでから太宰を読むと、
「コイツ、マジでアカン奴やんか!」
の印象のほうが強く、苛立ちすら覚える。それは、私自身が太宰級までとはいかずとも、それに近い面々に煮え湯を飲まされてきたからなのだろうか・・・。それとも、純粋に読み取れないほど魂が汚れたからなのか・・・。
まあ、とにもかくにも太宰はアカン奴、だという印象しかなくなった自分を少し悲しく思う。もっと、優しい気持ちで読めたらいいのにな。
さて、話を映画に戻そう。
この、とにもかくにもアカン奴を小栗旬くんが演じてくれたから、しっくりくるのである。観終わった後、TOMOさんとエスカレーターを下りながら、「太宰の役は小栗くんしかいないよね」と意気投合。つまり、小栗旬は「ヨォッ、色男っ!」なのである。
監督が蜷川実花さんとあって映画は非常に女性的。登場人物の心情を描くシーンのところどころに綺麗すぎる花がちりばめられ、ロマンティックさと美しさを存分に表現していた。その美に負けない3人の女優さんたち。彼女たちの愛情を一身に集める太宰治とは、どれだけ女性を魅了する力があるのだろう。そこを、小栗旬くんが説得力のある演技で見せつけてくれる。若い人たちより、『婦人公論』や『婦人画報』が好きな人におススメである。
愛情とは互いの幸せを願うものなのであろうが、結局は「自分を満たすため」でしかないのかもしれないとこの映画を観て思う。太宰に振り回されて苦労ばかり強いられている女たちはみな、「好きで太宰に添っている」のである。はたから見れば「そんな奴はやめんしゃい!」と言いたくなるが、本人は好きでそうしているのだ。・・・つける薬はないのだ。ただ、その「好き」は本当に相手が好きなのか、相手を好きでいる自分のことが「好き」なのか・・・。
ということで、太宰治は39歳という若さで太く短い人生に自ら終止符を打った。ここまで奔放にやりきれば、確かに「もう(ここいらで人生終えちゃっても)いいよね」と思うし、そのおかげで彼のカリスマ性は倍増して、今でも作品を通して我々を楽しませてくれるのだから、最後は道連れに遭ったとしても「それで良かった」と満足しているのかもしれない。
●ドラマティック度:★★★★☆
●鑑賞後の心地良さ:★★★☆☆
●ドラマの重量感:★★★☆☆