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【映画】星の子:女優 芦田愛菜さんは健気な少女が似合う

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星に願いを…「信じる」から叶うのか「信じなくても」叶うのか…


今週のお題「最近見た映画」

アナタハ~カミヲ~シンジマスカァ~?

映画の番宣の時の芦田愛菜さん(もはや「愛菜ちゃん」なんて呼べない)の「信じる」についてのコメントがえらく立派で話題になった映画『星の子』

 

hoshi-no-ko.jp

“宇宙のエネルギー”云々を謳う怪しい宗教にハマった両親のもとで育ち、思春期を迎え、芽生えつつある自我と、両親の言葉だけを信じてきたこれまでの自分との間に揺れ動く中学三年生の少女、ちひろ愛菜さんが演じている。

ドラマ(創作)とはいえ、実は意外と身近にありそうなシチュエーションである。

ちひろは生まれた時から病弱で、両親(父:永瀬正敏、母:原田知世)はあらゆる治療をこころみるもののいっこうに良くならず、たどりついたのが宗教だった。宇宙のパワーが注がれた水によってちひろの病が治癒したことをきっかけに、両親は宗教団体「ひかりの星」にのめりこむ。ちひろは健康を手に入れたが、家族の暮らしはどんどん苦しくなるばかり…(というのも、お金は宗教団体につぎこまれるからだ)、それでも両親は信心を変えず、日常生活はこの宗教が唱える儀式作法によって営まれている。

ちひろはすくすく成長し、中学三年生となり、心も体も大人に近づく思春期を迎える。

新しく赴任してきたイケメンの先生(岡田将生)を好きになり、自意識が芽生え、これまで全く疑いもしなかった自分の生活の基盤(宗教)について、かすかな疑問を抱くように。

そんなちひろが、どのように成長していくのか…。ぜひ、映画を観てください。

芦田愛菜さんが、子役からすっかり脱皮して素敵な女優さんに成長した姿を堪能できます。

(ネタバレになるのであらすじはココまで)

 

信じる者は…救われる?!

冒頭で「身近にありそうなシチュエーション」と書いた。私はこれまで、ちひろの両親がはまったような宗教などにまったく縁がないまま今に至るが、いわゆる宗教がらみの話というのはこれまでなんども耳にした。

例えば、子どもの部活の先輩のママからお茶に誘われて「部活動のことで話があるのかな」と思いきや、しつこい宗教勧誘に遭ったママ友が勧誘を振り切るのが大変だった話とか。知り合いの人から久しぶりに「会わない?」という連絡をもらって会ったら、水やサプリを勧められ、実はこれが宗教がらみだった話だとか。高校時代には、修学旅行で鳥居をくぐらないほど信仰する仏教系宗教の熱心な信者の同級生がいたのだが、なぜか指定校推薦でミッション系の大学にアッサリ進学して(あれ?あの信心はいったい何だったの?)と思った話だとか。・・・そんな話はいくつもある。

 

ちなみに、私は宗教自体は否定しない。

 

信じる者は救われる…という言葉もあるし、人それぞれ信じるものがあってもそりゃ個人の自由だし。他人がとやかく言うものではない。

信じた本人が救われた、幸せだと思えるのであれば、それはそれでいい。

 

映画『星の子』で描かれる世界で「難しいな」と思うのは、家族単位での信仰っていうこと。親が信じる宗教をそのまま子どもに引き継がれるのは当然のこと。なんてったって宗教は人の価値観の核を担うものだ。その価値観で子どもは育つ。つまり、生まれながらにして信者にならざるを得ない。…仕方ない。

「信じる」のと「信じさせられる」のは違う。

…で、結局、ちひろのように思春期を迎えて、少しずつ自分と親のもつ価値観の違いに気づいていくことができれば…、いずれ価値観の分離は可能かもしれないけど、ちひろが葛藤して苦しんだように、そう簡単に家族と自分の価値観を分離することなんてできない。だから、子供の成長に「反抗期」が用意されているんだと思うのだが、その反抗期を親や社会はネガティブに捉える傾向がある。そこが問題。

 

思春期は自分の人生のスタートライン

映画『星の子』は、ちひろに訪れた思春期を「ちひろちひろの人生を生きようとする小さなきっかけ」として描かれていると思う。…そうあって欲しい。

思春期に反抗期はつきものだ。『親=自分の信じるものすべて』ではないことに気づく大きな節目。イチイチ親にムカついて、はむかって、自我を自分で育んでいく。そんな大事な成長をちゃんと迎えられてこそ、自分の居場所というステージを自分の力で獲得する…みたいな…そんな感じ。人生において思春期や反抗期は実は大きな節目なんじゃないかな、と私は思うわけだ。

ここをちゃんと通過しないと、思春期はどんどん後回しになって、もう大人と言われる年齢を軽く越え「老い」が見えてきてから初めて反抗期っていう場合もある。老いた親に恨みつらみの悪態をついて、親を困らせ、親に心配をかけて…。これって、本来は思春期にやることなんだけど。

つまり、思春期っていうのは、人が自分の道を自分の手で切り拓き始めるスタートラインに立つこと、だと私は思うのだ。でもって、10代でその思春期を迎え、無茶したり失敗したりっていうのは当然のことで、それらは武勇伝にもなりうる。・・・けれど、「イイ大人」になって思春期・反抗期を迎えちゃうと、それは武勇伝というより痛い目というか…いろんな意味で、周りにも自分にも「困りごと」としてこじらせていくケースが多い。それは「大人なんだから…」という枕詞が年齢に沿って強制的に引っつき(ちゃんとしていなければダメだ)という言葉で罪悪感と向き合わなければならなくなるからだと思う。

 

ということで、私はこの映画を観てちひろちゃんに言いたい。

ちひろちゃん、あなたが信じる道を自分でゼロから切り拓いて進んでいっていいんだよ。そのために親を捨ててもいいんだよ」と。

親は結果として、子どもに捨てられるために存在すると私は思っている。「捨てられる」という言葉には語弊があるが、親を踏みつけて乗り越えて自分の人生を築いていって欲しい、そういう存在でありたいと私は思っている。

私が親になって思ったのは、我が子に「存在を気にせず生きられる」親でありたいということ。縛るものはない。気にしなくていい。心配なんてしなくていい。それくらい自分の人生を謳歌して欲しい、と願うのだ。

 

世間で美しく語られる家族の絆はときとして呪縛になることだってある。

…ということで、、映画の話に戻そう。

早くから家を出たちひろの姉は、自分の人生を送れているだろうか?姉は、生まれながらに宗教があったわけではない。ちひろが病弱ゆえに両親が宗教にハマっていく様子を見てきた。それゆえに、宗教に支配されていく両親を見続けながら、宗教によって得られるはずであろう安心がどんどん遠のいていく過程を知っている。だから苦しくなって家を出たのだ。家を出られたのだ。

ちひろは、このまま両親と生きていくことを選ぶのか?

…エンディングの先の展開を想像しつつ、観る人がそれぞれの『信じる』について考えてみたくなる作品です。

しかも、キャストが豪華です!

 

★みじん子レーダー【映画】星の子
●ドラマティック度:★★★☆☆
●鑑賞後の心地良さ:★★★☆☆
●ドラマの重量感:★★★★☆
★女優、芦田愛菜さんの健気な姿が愛しい110分