エンタメ愛が止まらない!! リターンズ

愛するエンタメを語りつくせ!!

【映画】『百万円と苦虫女』&『アズミハルコは行方不明』:蒼井優という女優さんの実力を知る作品

f:id:entame-lover:20200304101746j:plain

人には人の…乳酸菌っ!

ふだん味わえない感覚を得るため…に映画

観ていて「もどかしい…」と感じる映画がある。それは、映画そのものにではなくて、主人公の生き方について、である。「自分だったらこんなことしないのに!」「なんでこんなふうになっちゃうの?!」みたいなモヤモヤを感じながら、結局、主人公の魅力に取りつかれてしまうのである。

そういう人物を演じるとき、蒼井優さんはドンピシャリな女優さんだ。昨年、世間の度肝を抜いた山ちゃんとの電撃結婚で、彼女の感性、いわゆる目の付け所というものに「よくいる美人さんとは違うな…」と、さらに魅力が増したというか…。

 「蒼井優」ちゃんで映画を選んでみる

彼女のことを最初に「キャーッ!ステキッ♪」と思ったのは2010年度大河ドラマ龍馬伝』で長崎の花街の芸妓、お元として登場したシーンだ。和風顔なんだけどどこかエキゾチックで、カフェメニューでいえばほうじ茶ラテのような魅力。そのなんとも不思議なバランス感覚が、どんなに華やかに着飾ってもどこか影のあり、芯の強い女性として映り、おおいに惹きつけられた。龍馬伝では重要な役回りだった。

 

話は変わるが、こんなご時勢で映画館にホイホイと行くこともできず、もっぱら動画配信サービスでその代替を得るしかない。

「そうだ、蒼井優、観よう!」と思い立って、彼女の魅力を存分に味わえる2作品を観た。

 

百万円と苦虫女

2008年7月に公開された作品。

「学校を卒業したけれど就職できずにバイトで実家暮らしする女子」鈴子の、自分探しの物語。

非常に不条理な理由から前科持ちになってしまった鈴子。もともと肩身の狭い思いをしながら暮らしていた実家で受験を控えているという弟と大喧嘩し、「百万円貯めたら出ていく!」と宣言。バイトでコツコツとお金を貯めると、旅行鞄ひとつを抱えて実家を出る。フラリと知らない土地に身を置き、バイトで100万円貯まると次の土地へ…女性版フーテンの寅さんのような浮草暮らしの中でいろんなトラブルに遭いながら、鈴子は少しずつ(自分)というものを確立していく…というストーリーだ。

前科になったトラブルも、もともと鈴子は何の罪もないものだった。ただ、彼女が他人の強引さに抵抗することなく簡単に折れてしまう意志薄弱な女性であり、根っこには自分に自信が持てないという自己肯定感の不充足が見えてくる。

これは私の勝手な解釈だが、鈴子の自己喪失感は生い立ちが大きな原因だと思うのだが(それは、鈴子の弟のいじめ問題にもリンクする)、(就活の失敗)で大きく姿を現し、(前科)で決定的なものになった。

そこから脱出するためには、「今の自分」からの脱出しかなく、鈴子は(100万円貯めるたびに住む場所を移動する)という遊牧のような生活を選んだのだ。

就職氷河期)と(自分探し)は親和性が高いと思うのは私だけだろうか?学生時代まではなんとなく流れの中に身を任せればどうにかなっちゃうのとは違って、(就職)は自分が主体的に動かねばどうしようもない世界でもあり、しかも、その先の長―い人生を左右する重大な決意事項である。そこで大きく躓くということは、学生時代の躓きとは違って、人生で最も重要な社会人というフェーズで大きく出鼻をくじかれることであり、人格の尊厳すら奪われてしまうような苦しい試練である。就職氷河期を経験した人たちの苦悩は、それを知らない人には理解できまい。

就職氷河期のピークはだいたい2005年ごろまでだから、映画の公開は2008年当時、社会人になりたての人たちにとって、鈴子の生き方はとても身につまされるものがあるのではないだろうか?

 

『アズミハルコは行方不明』

2016年12月に公開された作品。

映画館で上映前に流される宣伝シーンがとても印象的だった。実際に観てみると摩訶不思議というか、煙に巻かれてしまうような感覚が残る映画である。

どこにでもありそうなちょっと田舎っぽい街で暮らす安曇春子(アズミハルコ)がある日突然失踪し、たずね人のポスターが交番の掲示板に貼られる。・・・これが映画の主軸である。

ハルコの生き様と並行して、別の物語が展開される。20歳のギャル、愛菜高畑充希)は、成人式でユキオ(仲野太賀)と再会し関係を深める中で、レンタルビデオ店でバッタリ再会したこれまた同窓生だった学(葉山奨之)と三人で、グラフィティを拡散する(キルロイチーム)を結成する。

愛菜は一途にユキオを思うのだが、ユキオにとってはただの遊び相手であり、ユキオがキルロイチームを作った目的は「なにかしでかしたい」欲求だけである。非常に身勝手で薄情な男だ。

たまたま交番で見つけたハルコの顔写真をモチーフにしたグラフィティがキルロイチームによって拡散されていく。

それと同時に、街では女子高生ギャングたちが横行し、無差別に男性たちを襲うという事件が起きる。これが、ハルコや愛菜の物語と全く関係がないように見えて、コントラストとして、互いの存在感を引き立てる。

ボーッと観ていたら、なにがなんだか分からなくなりそうな映画なのであるが、観終えて考えてみると、映画のタイトルでもあるアズミハルコの、先に紹介した映画の鈴子とはこれまた違った意志薄弱さ招く、人生の悲劇…みたいなものが浮き上がってきて、けっこう…かなり…切なくなってくる。

悪い人じゃあない、逆に、イイ子なんだけど、、、パワーの強い者に巻き込まれてしまう…ような、利用されてしまう…ような。そういう切なさ。

 

2つの映画から見える主人公の『全部放り出して逃げちゃえ!』

この2つの映画は全く違うんだけど、アズミハルコが行方不明になった理由が、『百万円と苦虫女』の鈴子の思いと少し重なってきて、そういう、もどかしい切ない女性を演じる蒼井優さんはすごく上手だな、と感心したのだった。

両映画の主人公は意志薄弱…なのだが、奥の奥に芯の強さを持っている。それは実は誰にも負けないほどの強さ、である。その芯の強さを自分の力で引き出すために、『百万円と苦虫女』の鈴子は放浪の旅を、『アズミハルコは行方不明』のハルコは行方をくらましたのだと思う。

彼女たちが(自分を探す)には、その場所から遠く離れることから始まったのだ。

 

それはだれにでもあること。時々、今あるすべてをぜーんぶ放り出して、何者でもない自分になっちゃいたいってこと。それは行き詰った時だけでなく、なんでもない平穏な時でも。…若い頃のそれは単に0からのスタートを意味するかもしれないだろうが、…長く生きれば抱えるものも増えてしまったことからのいわば断捨離、である。

 

こういう、グズグズ&ズブズブした世界に時には映画を利用して没頭してみるのも面白い。

ダメんずに振り回されちゃうとか、他人に振り回されちゃうとか、自分探しとか…そんなキーワードが気になる時に観ると、けっこう勉強になるかも。