【映画】ミセス・ノイズィ:激しい争いがなぜか滑稽。そして切ない。
非常識or常識、だれが決めるの?
まもなく23時。
ふだんなら床に就くはずの…
こんな夜更けにブログかよ?!ってか(笑)
ここのところ、頭の中が沸騰(といっても怒りではないです。集中を要する時間が長くて…)することが多くて、息抜きしたくて先日観た映画の話を書こうと思う。。その前に、ストレス発散で、
マイクを手に一曲歌いたい…。けど、こんな時間です。ご近所迷惑になりますわ。
ご近所迷惑といえば、、、騒音。
昔、ワイドショーでにぎわせた騒音トラブルを思い出す。
けたたましく鳴り響く音。
隠しカメラで撮られた音の主は…。
世間で注目された騒音おばさん。
彼女の表情はまさに鬼の形相だった。
最近、そーいえば音トラブルのニュースが流れない気がしているけれど、減ったのかな?それとも報道規制?またはネタにならないとか?
我々にとっては「マジか?!」「信じられない」というような人でも、それはそれで彼らには事情がある…。
…そんな他人の裏側を見つつ、人に対するとき、自分の視点だけで決めつけてはいけない、ということを思い知らされる映画が、今回、ご紹介する『ミセス・ノイズィ』だ。
心機一転の引っ越しがとんでもないトラブルに…
主人公の小説家の吉岡真紀は、夫と幼稚園児の娘の三人暮らし。
長くヒット作に恵まれずにいたが、とある集合住宅に引っ越して心機一転、意欲的に執筆に集中しようと思っていた矢先に起きた騒音トラブル。
夜明けとともに隣人の若田美和子が激しく布団を叩く音。
「隣の人・・・ヘンだわ」
せっかく執筆に集中しようと思っても、騒音で集中をかき消されてしまう。溜まるストレス。隣人への嫌悪感。
そんなある日、「遊ぼう」とせがむ娘をつい放って執筆に集中していたところ、拗ねた娘がフラリと外へ出かけてしまう。夕方、執筆がひと段落して我に返った真紀は、娘がいないことに気づく。必死に探しまわるが見つからない。夫にも実家の母にも、警察にも連絡する大騒ぎになるが、夜、ピンポーンとなって玄関先にいたのが美和子と娘だった。美和子の家で一緒に遊んでいたところ、つい昼寝をしてしまい寝過ごしてしまった…というのだ。
怒りのあまり大声で怒鳴りつける真紀。
真紀は隣人を危険人物と警戒し、ますます関係が悪化する…。
そこから、二転三転。真紀の人生が翻弄され、世の中を巻き込む騒動となり、、驚きの事実と展開が繰り広げられていく。
ネタバレになるのであらすじはここでおしまい。
布団叩きのシーン、怖いんだけど笑えます。
観る人によって感じ方が違う映画
私はこの映画を観て「オイオイ!」と言いたくなったのは真紀、そして真紀の夫、である。
が、人によって「真紀が気の毒」だと思う人もいるのかもしれない。…というように、この映画の感想は一人ひとりだいぶ異なりそうだ。
…というのは、この映画で一番大事なのは、
自分の思い込みを信用してはならない
ということを強烈に表現していると思うからだ。
かわいい娘を連れだされたり、明け方からの布団叩きの騒音妨害で散々な目にあっている真紀にとっては、美和子は悪人であり迷惑な人物に映るだろう。ところが、美和子の本当の生活を知ると…(つまり、美和子側からとらえると)真紀のその思い込みは、まったくもって自分勝手である、ということになる。
人はそれぞれ、だれにも見せない(見えない)事情があるもので、その事情をいちいち周囲に説明などしない。だから、他人から見える姿が、その他人にとっての自分の姿になってしまうわけである。
このギャップが大きければ大きいほど、きっとトラブルも多い、んだろうなぁ。
自分を信じる…は大事だけど「疑ってかかりつつ信じる」っていうほうがなんだか周りとうまくいくんじゃないかな、と思う。
自分から見ている世の中は、なんだかんだで結局、ひとつの方向からしか見ることができない。その見方は自分の価値観や思い込みのフィルターで、実は、かなり自分勝手にとらえている、ということは自覚しておいたほうがいい。
かといって、自分の判断がすべて自分勝手で偏っていて間違っている、というわけではないけれど、他人とかかわって生きていく場合、「他人には他人の人生と事情がある」ということを「自分には自分の人生と事情がある」というものと同じっていうことを、すこし意識しておいたほうがいい。
相手を非難するのは簡単だ。他人は自分の思い通りには動いちゃくれない。迷惑をかけられた、ひどい言葉を言った、神経を逆なでされた、ケンカを売られた…。そんな「~された」というとらえ方は、すべて受身形の考え方である。受け身だから主語は相手、つまり他人。結局、自分が思っているのは、自分の思い込みのフィルターを通した他人のこと、であって、それはもう自分の手には及ばないこと、になっている、ということにすべては帰結してしまう。仮に他人が悪意を持った行動をしたとしても、受け止め方ひとつで、それは悲劇だけにはならず、場合によっては喜劇にもなる、こともあるし、ケンカになることもあれば、仲良くなることもあるし、完全に「なかったこと」にすることもできるんじゃないかな、って。
「とらえる」・・・から「とらわれる」にバージョンアップさせてしまったら、多分、ずーっと悶々とイライラと過ごさなくちゃならないわけでしょ?
そこに耐えるエネルギーは私にはない。から、
できるだけフラットに、そして良好に周囲との関係を築こうとするほうにエネルギーを使ったほうがいい、を私は選ぶ。
もちろん過去にはクッソむかつく人間と関わった経験もあるが、半世紀余り生きてきて思うのは(そういう人とは対峙するのではなく逃げる(関わらずにいる)ことがイチバンだ)ということ。逃げるが勝ち、とはよく言ったもので、わざわざ自らを悪い環境の中に留めておく必要はない。
でも、それでも人の心があると信じて「あちらにはあちらの事情がある」かもしれない、と、片隅にでも感じられる人間でありたい。
…ということで、面白い映画でした。
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★みじん子レーダー【映画】ミセス・ノイズィ
●ドラマティック度:★★★☆☆
●鑑賞後の心地良さ:★★★☆☆
●ドラマの重量感:★★★☆☆
★終始飽きさせない、悲劇が喜劇に見える106分