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【映画】PLAN75:超少子高齢化の日本では、誕生日が祝えなくなる?!

昔はうばすて山。未来は…

    先日、無事に誕生日を迎えた。

 えーと、いくつになるんだっけ…?

自分が今度いくつになるのかよく考えないと分からない。そういえば、田舎のおばあちゃんの歳が何故か78歳以降は更新されなくなり、結局、86歳で亡くなるまでずっと「わたしは78歳」だと言っていたことをふと思い出したが、私は40手前でおばあちゃんと似たような現象に陥っているということになる。

それは、誕生日というセレモニーが「1年経つのハヤッ!」と時の流れの速さに慄くばかりの記念日になり果ててしまったからだ、というのは言い訳で、単に自分自身に対してすっかり興味を失ってしまったということにほかならない。

 そんな中でも、親しい友達からはお祝いのLINEメッセージやバースデーカードが送られてくる。華の独身時代にお洒落な店を予約して互いの誕生日を祝い合った仲間たちだ。時が経ち、それぞれの生活は変化していったが、相変わらずの付き合いができる友達は有難いかぎりである。最近ではコロナ禍もあってしょちゅう顔を合わせることができなくなったが、そんなブランクなど会えば微塵も感じない。我が未来に対してアグレッシブに挑んでいた発展途上中の私のことをよーく知っている友達から、今も変わらず「誕生日おめでとう」と祝ってくれるその気持ちが私にとっては最高のプレゼントである。ついでに言うと、このメッセージのやり取りの最後に「身体に気をつけて」と互いの健康を気づかうことが定型となった。つまり、互いのバースデーメッセージはギフトという名の安否確認も兼ねている。

 

 さてさて、そんな年齢更新のおめでたモードが急速冷凍するような映画を、これまた誕生日目前のTOMOさんと観に行ってしまった…。

 …行ってしまった、と書いたけど後悔はしてません。歳を重ねることは、この世に生まれた誰もが逃れられない宿命なのだから。

 

 第75カンヌ国際映画祭カメラドール スペシャル・メンション(特別賞)を受賞した『PLAN75』。

 

happinet-phantom.com

以前読んで衝撃を受けた山田宗樹氏の『百年法』みたいな物語?と思っていたのだが、

 

www.kadokawa.co.jp『PLAN75』はそれよりもっと現実的だ。けっして大げさではない近未来シミュレーションのように映ったし、その近未来とは自分がドンピシャリ『75歳』になるころなるんじゃないかと思ったら、首まわり全体に鳥肌が立ち、毛穴の震えがゾワッとして、最後まで見届けるにはとてもエネルギーの要る作品だった。

超・超高齢化社会となった日本。世界経済からすっかり取り残されたうえに社会保障費がかさみ、夢も希望も持てなくなった若者たちの怒りの先は高齢者に向けられ、高齢者施設で殺傷事件が相次いで起きるように。国家存続と未来への繁栄に国家予算を費やすために、やむなく政府は75歳以上の高齢者が自ら死を選択できるプラン75”の運用を可決した。

この映画で描かれる主な人物は5人。年齢は78だが、ホテルの客室清掃の仕事を持ち自立した生活を送っている角谷ミチ(倍賞千恵子)と職場の仲間や友人たち、プラン75の受付担当として働く岡部ヒロム(磯村勇斗)、プラン75の申し込みでヒロムと偶然再会した彼の叔父の岡部幸夫(たかお鷹)、プラン75に申し込んだ角谷ミチの『その日』までを電話でサポートする成宮瑤子(河合優美)、祖国に心臓病の娘と夫を残し、治療費のために出稼ぎに来ているフィリピン人労働者のマリア(ステファニー・マリアン)。彼らとプラン75の関わりが淡々と描かれている。

国が奨励しているプラン75”は、まるで今、テレビやポスターなどでよく目にする “マイナンバーカード”キャンペーンのようだ。サラリと何の暗さも悲壮感もなく『未来のために』を強調して、75歳以上の人たちに、このプランに前向きに乗ってくれるようにPRしている。あくまでもフィクションだし、こんなことはありえない施策だと思う一方で、現実に起きているドキュメンタリーを見ている感じもして、なんだか心がざわついた。『自分だったら・・・どうしよか・・・』と。

 

誕生日を迎えたばかりだが、75歳になるにはまだ時間がある。けれど、時間が経つのは思いのほか速い。気付けば70を過ぎ、無事に生き延びていれば75歳の誕生日だって迎えるかもしれない。

 

私が長生きに対して執念がないのは子供のころからだ。なぜだか分からないけれど、子供の頃は30代あたりで人生を終えたかった。40歳までなんて随分長く(生きなきゃならない)感じがしていた。それくらい、幼い私にとって未来は遠い存在だった。でも、今振り返れば、何もしなくても時間はどんどん過ぎていく。10年なんてあっという間で、気づけば子供の頃に設定した自分の寿命はとっくに過ぎてしまっていた。これを書いて思ったのだが、自分の行き当たりばったりな生き方は、子供のころに決めた刹那的な人生観がもたらしたのかもしれない。そりゃ、長く生きる気が無かったから、石橋を叩かずに渡ってしまうわけだ。トホホ…。

 

映画館内を見回すと、私たちは若造のほうで、まさにプラン75”に該当する方々が大半だった。スクリーンに没頭しながら、なんともいえない感情に「自分には…まだ…もうちょっと先の話」と言い聞かせて、ゾクゾク感を鎮めようとしていたけれど、アラウンド75の方々は、この映画はどのように映ったのだろう。聞きたい気持ちもあるが、怖くて勇気でない。

 

…ということで、とても見応えのある映画を観た。こういう設定が描けるのは映画ならではの素晴らしいところだ。VFXなどは駆使せずとも、ありえないリアルが描けるんだから。

 

 劇場を出て、気持ちを切り替え兼ねて美味しいケーキ付きのお茶をして、普段のワイワイ♪気分にリセットした。容易く作品に没入する私には、この切り替えがとっても大事だし、簡単に元に戻れるから単純だ。

 

 私たちが子供のころ、まんが日本昔話の定番作品だった『うばすて山』も、当時は衝撃的だったが、『PLAN75』は、まもなく私が「捨てられる側の人間」になるという事実を突きつけられたことが何よりもイタい。「山に捨てられるおばあさんがかわいそう」という胸の痛みから、もしプラン75が現実になるとしたら「自分は前向きに(自らの死を)望むことができるだろうか…できるならば、希望を持ってそう決意したい」と葛藤を大きく含んだ逡巡で今の私は胸が苦しい。

 

 子供が少ない世の中は未来への光を燻ぶらせ闇で包む。

 

 さて、この映画の主軸となる人物を演じた倍賞千恵子さん。妹の倍賞美津子さんとともに大女優さんであるけれど、年齢に抗わない生きざまを感じるお姿に感銘を受ける。世の中は、女が堂々と歳を取るよりも、「いつまでも若々しく」とアンチエイジングや美魔女なんていう言葉で、「おばあさん」になりづらくなっているように思っていたが、抗うことより受け入れることのほうに視線を向けて、無理なく生きていきたいと思う。フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーブも年輪が美しいお姿になった。

 それでいいのだ。それがいいのだ。歳をとる。老いる。そして、朽ちるのだ。そこに抵抗するためのエネルギーなんてもはや持ち合わせていない。そのぶん、笑ってごきげんに過ごせることに視線を向けていきたいと思うのであった。

 額や目じりの小じわは、私が生きてきた証だ。私の「その日」が来るまで、正々堂々と老いていこうと思う。