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【ドラマ】○○世代と一括りにされたくないけれど。『ゆとりですがなにか』

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あなたは何世代!?

いつの世も、その時代に起きる大小様々な出来事を反映して「時代の空気」みたいなものが生まれるものだ。その結果、誰が名付けて浸透させるのか分からないけれど、○○世代という名がつけられ、同世代の人々を一括りにして語られがちだ。

この「一括り」に多少敏感なのは私がB型だからかもしれない(苦笑

血液型も「一括り」の対象になることが多いでしょ!?

中でも日本においては、、、少なくとも私が成長する過程においてはB型ハラスメントが横行していた。何をしても「あ〜、B型ぁ〜」「ほらね、 B型ぁ〜〜」「やっぱり、B型ぁ〜〜」っとまあ、学生時代も就職してからも幾度となく投げかけられた「B型」へのネガティブ発言!

まぁ、おそらく私が、各集団の中で無意識に協調性を欠くような行動をしてしまっていたのがいけないのだろうけれど、これはもう「無意識」なので気付きようがなく、、、。B型を代表しているつもりもないし、そういう言葉を投げかけられる時の私には本当に悪意も狙いも何もないのだ。悪意を持って行動するときは、しっかり「悪意がある」と意識している確信犯だもの(苦笑

私の若い頃は血液型占いとかも流行っていたし、就活の際、「A型に限る」「B型は受け付けない」などという注釈が入っていたところもあった。さすがに今、そんな条件を掲げたら大変なことになるだろうけれど。子どもの頃から社会人になってからも、あまりにB型B型と言われ続けたせいで、自分でもB型であることを強く意識してしまう。我々のハンドルネームもtype-Bシスターズだし(苦笑

フリーランスになって19年。所属する組織がなくなって、ふと気が付けば友人もB型ばかり。私は家族も全員B型だったので、今の生活の中でB型を否定する人間は周りにいない!自然にB型ハラスメントは消滅して楽しく平和な日々を送っているのだけれど、今の集団生活の中でも血液型で一括りにされることはあるのかなぁ?

 

『ゆとりですがなにか(2016年4月〜)』は、タイトル通り、「ゆとり世代」と一括りにされているアラサー青年たちが、仕事や恋愛・友情などで直面する悩みや葛藤をおもしろおかしく描いたクドカン脚本の社会派ヒューマンドラマ。

食品会社に勤める悩み多き青年・坂間(岡田将生)、真面目で女性経験のない小学校教諭・山路(松坂桃李)、神童と呼ばれるほどの秀才だったが今は「おっぱい、いかがっすか〜」と連呼しながら風俗店の呼び込みをしている・まりぶ(柳楽優弥)の3人がメイン。

上の世代からは「ゆとり」と揶揄されながら、もう一世代下のさらなる「ゆとりモンスター」・山岸ひろむ(太賀)などに振り回される坂間。

太賀演じる「ゆとりモンスター」山岸が、とにかくいい味だしてて笑える(笑)

実際にこんなに厄介な部下がいたらたまったもんじゃないけれど(爆!
褒めればつけ上がり、叱ればパワハラだと騒ぎ、失敗したら逃げ出し、、、、とまあ、いわゆる困ったちゃんのオンパレード。

メインの3人が生き方も悩みも人生観も違っているように、同世代だからって一括りにされるのは心外だ!っと思う人も多いのではないかと思うけれど、笑いながら「あ〜、あるかも〜〜」っと身近な人を思い浮かべたりできるのも面白い。

「ゆとりですがなにか?」と開き直った感じのタイトルが、ゆとり世代の空気感をバッチリ表現しているのも美味いよね〜!

第一、ゆとり教育だの何だのと言って、詰め込まない・競争させないという学生生活を提供したのは彼ら以前の世代の大人たち。自分たちの働き方や考え方と違うからって、文句を言うのは筋違いというものだろう。

 

みじん子さんの記事で『団地』という括りもあったけど、それぞれの世代が育つ時代背景や環境が人格形成に大きな影響を及ぼすことは間違いなく、ただの世代間ギャップ以上に価値観の違いを生んでしまうんだろうなぁ。

entame-i-ga-tomaranai.hatenablog.com

 

いずれにしても、人間はそれぞれ違いがあるから面白いのだ!ゆとり世代の方も、そうでない方も、ぜひぜひ楽しんで欲しいドラマである!

 

・・・・・・

 

ちなみに私は「バブル世代」になるらしい。

確かに10代後半から20代にかけて、世の中がやたらと賑わっていてキラキラと華やかな時代だったとは思う。平野ノラさんがネタにしているけれど、まさにあんなイメージ。

だけど、ホントにバブリーな生活をしてた人はほんの一部だったはず。
少なくとも私自身はバブルの恩恵は全く受けていないので括られるのが嫌な一人だ(笑

夢を叶えた仕事について充実していたので後悔はないのだけれど、当時は、薄給が当たり前で残業代もない仕事だったので(今はもうちょっと改善されているようだ)、ブランド品にもお立ち台にも、アッシー君にもメッシー君にも一切ご縁はなく(笑

それでも時代の空気というやつは不思議なもので。

お金がなくても不安もないし、少ないお金を使い切るほど趣味に費やすことにも躊躇をすることはなかった。要するに貯金をしていなかったんだけど(苦笑

今でも将来不安よりは適度にお金を使う(回す)ことのほうが大切に思えるのは、バブル世代のサガなのかしら?っと思わないでもない。単純に私が行き当たりばったりに生きているだけなのかもしれないけれど。

 

私たちの上司にあたるくらいの方達は「団塊の世代」と呼ばれる。

第一次ベビーブーム期に生まれ、周りと競争しながら育ち、高度経済成長期を支え猛烈に働いてきた世代。
ちょっとしか世代の変わらない私から見ても「頭が固い!」っと嫌気がさす方も多い世代だと思うんだけど、いい学校に行っていい会社に入って猛烈に働いて出世して、、、という雛形が多くの方が描く幸せ像だったのだとしたら、今さら柔軟になれ、というほうが難しいのかもしれないけれど。
今回のコロナ禍で、表向きは会社が在宅ワークを推奨したけれど、部下の在宅ワークが許せなくて個別に出社を命じたという事例もあったと聞いている。

「動くこと」が当たり前で得意な人たちにとって、この「ステイホーム」生活は本当に辛いんだろうなぁ。。。

 

さてさて。

新型コロナも一旦少し落ち着いて、自粛要請が解除される地域も出てきたけれど、このコロナ禍はおそらく年の単位で続くと思われる。オンライン授業やリモートワークなど、学校の在り方も社会の在り方も大きく変わって、感染リスクを抱えながら恐る恐る経済活動を再開し、新しい生活様式とやらが当たり前になっていく時代に育つ今の子どもたち・若者たちは、将来、何世代と呼ばれるようになるのだろう?

 

人との接触8割減。

「感染させない、感染しない」ために必要なことなんだと理解はしているけれど、人との触れ合いを避ける生活が長く続いた時、人間はどう変わるのだろうか?

確かにオンラインなどで繋がった気分にはなれる便利な時代だけれど、だからいいとは思えない。

それでも、、、いや、だからこそかな?

成長過程でコロナ禍に巻き込まれ、当たり前が当たり前じゃなくなってしまった時代の子供たちが、人の温もりを大切にできる優しく心豊かな世代に育ってくれるといいなぁ!

そのために何ができるかな?

と、大人として、ちょっとは考えて生きていきたいと思う、今日この頃です。。。