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【映画】プラトニックに身を浸し汚(けが)れた我が身を清める - 世界の中心で愛を叫ぶ -

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食いしん坊の僕は世界の中心で゛ごはーん!”と叫ぶ!

 数年前、不用意にも慢性の病気に罹った時、薬だけに頼らず自分の「治ろうとする力」でできるだけ早く回復しようといろいろと試したことがある。普通、この病気に罹った人は「気長に向き合う」と言われているのだけれど、私の場合、試行錯誤が功を奏したのか約1年ちょいで通院と服薬を断つことに成功した。その話だけで2~3日かかるんだけど、今回は結果だけを言う。

 私にとってもっとも効果的だったのは『涙活(るいかつ)』と『叫活(きょうかつ)』だった。涙活はご存じの通り(泣くこと)である。大の大人が、シクシク...ではなく、ワナワナ...でもなく、ワンワン泣くことである。そして、叫活は(叫ぶこと)。カラオケでシャウト!ではなく、身体が壊れるほどに自分を抑えることなく心のままに絶叫することだ。

 これは病気の診断から約1年の間に幸運にもたまたま経験して効果を実感したのであって、病気を治すために「泣くぞ!」「叫ぶぞ!」という目的を持ったわけではない。この時期に、映画『レ・ミゼラブル』で大号泣し、USJのアトラクションで大絶叫したのだ。それぞれの経験後、なぜか症状が急激に回復。数値的にも明らかだし、身体の状態が不思議なほどラクになった。「え?なんで?」と行動を振り返り分かったのが(号泣)と(絶叫)による効果だったのである。

  『レ・ミゼ』はTOMOさんと新宿ピカデリーで観たのだが、会場を出た二人を見た周りの人たちから「だいじょぶ?何かあったの?」と心配されそうなくらい嗚咽と涙が抑えきれず私たちはこの涙を数日引きずった…。

 すると、なんということでしょう!ビフォーアフター調)

 涙がピタリと止まった後に得たスッキリ感は1週間の便秘が一気に解消(そんな経験ないけど)以上の解放感で、身体が妙に軽くラクになったのだ!!

    絶叫においてはさらに顕著だった。いい歳こいて服薬治療の身であり、元来乗り物に弱いという我が身をすっかり忘れ、初めて行ったUSJで張り切ってアトラクションに乗りまくり大絶叫。実は当時、やっとの思いで身体を動かしていたのが、閉園後、傍のホテルに戻っても全く疲れがない。「あれ?おかしいな」と思いながら翌日の大阪市内観光に出掛けて長々と歩いたが調子がいい。結局、帰宅後の検査で数値がすごく安定していることを知った。

 私はこの体験で考えた。大人になると自分を抑えることなく号泣したり、絶叫する機会が皆無になることを。そりゃ、涙を流すシーン(お葬儀など)や、大声を出すシーン(ホラー映画を観るなど)はあるかもしれないけれど、それでも、自分の中では周囲を気にして「大人としてふるまおう」と無意識にも考えてしまうものなのだ。

 中原中也的に「汚れちまった」大人になることは歳をとればいたしかたないのだが、この汚(けが)れ、実は身体に大きく深いダメージを与えていることを病気になって知り、乳幼児の時のような号泣や絶叫がそれらを一掃する役割を持つことを実体験したのだ。

 

 と、前置きが長くなったけれど、今回TSUTAYAで借りた5本のうちの1本はこの(涙活)にオススメの映画『世界の中心で愛を叫ぶ』(2004年5月)である。

 なんてったって、バットマンシリーズを2本借りたでしょ。5本借りられるとなると、居酒屋でおつまみをオーダーするみたいにバランスよく選びたい。SFアクション2本を借りたら、あとはコメディ系とか青春群像系とか、、涙活系がいいでしょう。

 

 『世界の中心で愛を叫ぶ』は原作本はベストセラーとなり、「セカチュー(ピカチューじゃない)」と略されて社会ブーム化し、2004年7月期の連ドラでは視聴率20パーセントに近づく大ヒットとなった。

 

 映画は原作本や連ドラ版とは展開が少し異なっているようだが、メインストーリーは共通して高校時代のやさしくてはかない純愛、愛する人の喪失から抜け出せない青年がその思いと思い出の片づけをするまでの経過が描かれている。

 主人公の松本朔太郎は大沢たかおさん、朔の婚約者である藤村律子は柴咲コウさん、高校時代の恋人、安紀が長澤まさみさんである。高校時代の朔太郎を演じたのが森山未來くん、これがなんとまあ大沢さんの顔にすんなりとリンクする。

 私は不治の病ネタはとても苦手なジャンルなので、ブームの時は「セカチュー」にあえて触れずに過ごした。でも、今なら観ることができる。なぜなら(涙活)の効果を知ったから…。歳を取ると涙もろくなるというがこれは本当で、テレビCMの優しい一コマにもポロリと涙をこぼすのだが、もう「大人らしく振舞おう」などというやせ我慢的な自意識はすっかりなくなっている。心と身体の健康維持のためにも定期的な涙活が必要なのだ。

 

 セカチューは実に美しいプラトニックな愛が描かれており、汚(けが)れたわが身を芯から清めるアファメーションとなった。時代背景がまったく同世代。朔も亜紀も同級生だ。景色はどこも懐かしくプラトニックにノスタルジーが加わる。

 とはいえ、普通の田舎に育った天真爛漫なお子ちゃまの高校生だった私が、このような崇高でプラトニックな愛を経験できたはずなどもなく、朔と亜紀の関係を「自らがなし得なかった純粋で崇高な愛の軌跡」を得意の妄想力で我が身に転嫁し、時間軸を逆回転し心だけ17歳に戻って大いに涙するのであった。

 

    話が飛ぶのだが、私は6年前にグリーフケアアドバイザー2級を取得した。これにはいろいろ理由があったのだが、セカチューを観てグリーフケア(喪失からの回復)の大切さをさらに確信したのである。

 喪失とは愛する人との別れのみならず、自分が大切にしてきたものの喪失だったり、本来の自分を失っていたことへの気づきという喪失であったり、いろいろだ。そして喪失から回復まではどれも同じ5段階(以下の通り)のプロセスをたどるという。

 順を追ってざっくり説明すると、

1.否認(喪失が受け入れられず「そんなはずはない!」と拒む心理)

2.怒り(なぜそんなことになったのかという事実に対する怒り、喪失を許してしまう自分自身に対する怒りや第三者(病気の場合は医師など)への怒り)

3.取引(「もし~」と喪失前に戻り、悔いや罪悪感を懺悔することで神様になかったことにしてもらおうと願うこと)

4.抑うつ(喪失が不可避であることを実感することで、悲しみに暮れ悲嘆にくれること)

5.受容(悲嘆を終え、新たな自分の道を歩むことを決意すること)

である。

 例えば、大切な家族を失うとこの1~5までのプロセスをたどれず、3~4でとどまったままや1の否認のままでいる人が多いのだと学んだ。

   子供時代の養育が不適切だったために本来の自分を失っていたことに気づいた大人が、いつまでも自分の苦しみが親のせいと恨むのも喪失からの回復のプロセスの2.怒りから抜け出せない状態である。

 人が生きていく限り「喪失」を避けて通ることはできない。だからこそ、喪失からの回復を知ることは、限りある人生という道で地団太を踏んで時間を浪費することなく前を向いて歩くためにとても大事なスキルであると思っている。

 

   『世界の中心で愛を叫ぶ』は、主人公の朔が愛する人の喪失から回復するまでが描かれている。大人になって普通に社会人として暮らし、結婚を約束した恋人もいるのに、亜紀の喪失から抜け出せない自分に気づく朔。長い間しまっていた(否認)亜紀との音声テープを再生しながら二人の思い出を辿り、一緒に行こうと約束していたウルル(エアーズロック)の風に彼女の灰を撒く(受容)。エンディングで流れるのは私の十八番、平井堅の『瞳をとじて』、涙腺解放スイッチON!だ。

 写真館の重蔵(じゅうぞう)じい(山崎努さん)が随所で重みのある言葉を発する。「天国っていうもんは生き残った者が発明したもんだ」「残された者ができるのはあとかたづけだけだよ」。歳を重ねたぶんの豊かな言葉で人に伝えられる力を持てたらいいな、と思った。

 

 まだ22歳の長澤まさみさんが、実にピュアな高校生役を演じていて『コンフィデンスマンJP』のダー子の強烈なインパクトさえ思い浮かぶことがなかった。

 

 あぁ、プラトニックな愛こそかけがえのないものであり崇高な癒しの力を持っている。

 さあ、社会にまみれ汚(けが)れすら気づかない大人たちよ、「大人としてふるまおう」などという妙な意地を張らずに、心を10代に戻して大いに涙し清めようではないか!!

   この映画で大泣きできる自分は、まだ自分が思うほど人生を諦めていないんだな、と感じた。若くてピュアだった頃の自分を、朔のように辿ってみるのも悪くない。

 

★みじん子レーダー【映画】世界の中心で愛を叫ぶ

●ドラマティック度:★★★★☆

●鑑賞後の心地良さ:★★★★☆

●ドラマの重量感:★★★☆☆

●涙活度:★★★★★

★王道の愛と死を描いたラブストーリーだがプラトニック感に脱帽の138分