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【映画】そんなんなら「仕方ない」とは思えない - ジョーカー -

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この映画で暴力が誘発なんて危惧するなら、そんな世の中にしたジョーカーより悪質な社会の問題を考えたい

  映画ランキング(10月7日発表)でも先週に引き続いて1位を飾った『ジョーカー(JOKER)』。先にTOMOさんが観たので、ブログに書いてくれるかなぁと思ったんだけど、ペンは私に託された(笑)。

 本来、ピエロの役割はお祭りやイベントに登場する道化であり、派手でおかしな格好、動作で私たちを楽しませてくれるのだが、なぜかいろいろな映画やドラマで悪人や狂人としてピエロが登場する。

 それはトランプカードでいうところの13のキング(王)、12のクイーン(女王)、11のジャック(従者)と対比して、日本でいうところのババ、つまりジョーカーはハズレくじのような役割を持ち、イラストのモチーフにはしばしばピエロの絵が使われているからなのか。カードゲームにおいても忌み嫌われる役割を持つことが多く、平穏無事にスッキリ終わるババ抜きはあらかじめジョーカーを省いたカードで遊技する。映画『ジョーカー』も社会から肉親から見放された一人の孤独な男の物語である。

  この作品は『ダークナイト(The Dark Knight)』を観ておかなくちゃ始まらない。できれば『バットマンビギンズ(Batman Begins)』も観ておくべきだ。なぜならバットマンとジョーカーの確執は、それぞれの生い立ちに深くかかわっているからだ。この2作品を観てはじめてジョーカーのイカレっぷりに「その理由を考えても徒労に終わる」ことを私は確信したのだから…。

 Wikiからの引用によれば、

"Batman #1"(1940年4月25日)で初登場した。初登場時に一話限りで死ぬ予定だったが、編集上の介入によって免れた。ジョーカーは犯罪の首謀者として描かれ、歪んだユーモアを持つサイコパスとして登場した。コミックス倫理規定委員会による規制に対応して1950年代はイタズラをするマヌケなキャラクターになり、1970年代に暗いキャラクターに戻った。

 とされる。アメコミに登場させるには人道的にあまりに酷いので、一度は規制をかけられたキャラクターなのである。それは、ダークナイトを観てもらえば解る。

 それでも我々は「酷い、酷いって言ってもさ…そうなるには理由があるのではないか?」という温情を持ってしまうことを制作側が意図して作られたのがジョーカーなのかもしれない。が、私個人としては、まったくその温情を飛び越えて「精神に異常をきたした者が失望からの捨て鉢となり、極悪非道な犯罪を正当化しようとする過程」を見せられたものだ、と思うのだった。

 

 コミックのオリジナルを知らないので映画から感じたことを書こう。

 確かにアーサー・フレックの生まれ持ったハンディキャップや生い立ちは酷い、酷すぎる。それでも彼がジョーカーに成る理由などない。私は『ジョーカー』を観て思うのは、一人の悲しい男の物語というよりもアメリカが抱える問題への皮肉と危惧を感じたのだ。そして、それは今の日本にもほぼ同じことが言える(ちょっと大げさに言っているけど…)。

 国家の財政難および福祉の衰退、格差社会児童虐待銃社会、報復という正義、SNSによる匿名の誹謗中傷…、そんな世の中に誰がしたっ!!

 締めつけはまず最下層の人たち(労働者層)に向けられ不満が鬱積、やがて、煮え湯を飲まされ虐げられていた人たちからヒーローが誕生する。それがジョーカーだ。

 ジョーカーは、こうした人たちの負のエネルギーを一身に背負い、特権階級の人たちの正義を叩き潰そうとした。皮肉にも、その特権階級のシンボルがブルース・ウェインでありバットマンである。

 ジョーカーがあくまでもバットマンを標的にしたのにはそんな理由があるのではないかと思うのだ。精神異常者ジョーカーの執念がバットマンに向けられたのだ。

 

 私はどんな理由があろうともジョーカーに情状酌量の余地はないと思う。が、それが彼の正義なのだ。つまり、どんなことが起きようとも、人間は己の正義にのっとって自分の行動を正当化するという生き物だ。これを忘れてはならない。

 

 話を変えて今の我々に目を向けてみよう。SNSで誰かをディスったり、挙げ足を取り炎上。アクセスかせぎのためにわざと社会性に欠ける行為をさらす。炎上目的で己の信念すら自覚できずに、鬱積した不満や愚痴の対象を他者に向ける。それらが情報操作に利用されている可能性もあるというのに。本来、鬱積した感情や不満は自分の中で処理すべき感情のゴミであって、処理を他者に向けるのはお門違いなのだが、それを正義だとすり替える。

  アーサー・フレックの人生は哀しい。空気は気圧の高い方から低い方へ向かって流れるように、社会の中に鬱積した負の感情は最もネガティブなものへと集められるのだ。

 

 アーサーが最初の犯行(地下鉄でサラリーマン3人を射殺)を犯すまで、どんな辱めを受けても殺人をとどまっていたのは、母親の存在、そして妄想によるレゾンデートル(自分が生きている理由、生きていてもいい理由)があったからなのではないか?

 それが崩壊したとき、彼にはもう失うものが無くなった。生きている意味など無く、必要なのは「この人生以上に硬貨(高価)な死」となった。それがダークナイト(The Dark Knight)で展開される。

 

 『ジョーカー』のラストのシーン。ジョーカーが発端となった暴動に参加した人物の一人が、オペラハウスから出てきたウエイン一家を襲撃する。ブルースの目の前で父と母が射殺され、そのシーンからビギンズ(Batman Begins)へと続くのだ。ジョーカーとバットマンの年齢差ってけっこうあるのね。

 ジョーカーがサイコパスだとしても精神異常者だとしてもそこが問題なのではなく、アメリカも日本も、ごく一部の層だけが経済循環の中に身を置いて利益を得ており、本来「健康で文化的な最低限度の生活」のために実直に働く労働者層がその循環から省かれているという問題が、ジョーカーの憤りとなって描かれているように感じた。

 

 ライフラインを整備する土木関係者、心地良い環境を整備するビル掃除員、国の未来を担う子どもたちを育む保育士、いま最もなくてはならない介護士など…、どれも社会にとって重要な存在でありながら、日本ではこうした仕事の人々が自立して生きることができない待遇だという社会である。おかしくはないか?いつまでも大人しく健気に働いて納税していると思っていていいのか?その不満はいつか、何らかの形で表に出るのではなかろうか?

 

 この世に、マジでジョーカーのような人物が登場するはずはないと思いたいけれど、オリンピック開催に沸いた浮足立った世の中の裏で健気にまじめに働く人たちの不満はいつか何らかの形となって噴出することがないよう、健全な世の中であってほしいとこの映画を観て願うのだった。

 今回はちょっと真面目に語ってしまったけどご容赦を。

 

 ちなみに今回のジョーカーを演じたホワキン・フェニックスはあのリバー・フェニックス実弟である。なんだかんだで、これが最も私の興味を引いた。リバー・フェニックスの早世により彼の過酷な生い立ちが有名になったが、弟であるホワキンも同じ家族として…ジョーカーの怪演に納得だ。

 

 やっぱりハリウッド映画は勧善懲悪のスッキリしたエンディングが欲しいと思うのだった…。

 

★みじん子レーダー【映画】ジョーカー

●ドラマティック度:★★★☆☆

●怖さ度:★★★☆☆

●鑑賞後の安堵感:★☆☆☆☆

●ドラマの重量感:★★★★☆

★ジョーカーその人の怖さよりも社会がジョーカーを生むことに怯えた122分